98)東日本大震災 復興ボランティア活動 その2 
仮設住宅に咲くひまわりの写真
仮設住宅に咲くひまわり
2012年7月26日〜8月2日まで事故で中断していた震災ボランティア活動をしてきました。

 「搬送された救急救命病棟入り口前から再出発する」

それは入院中から決めていた人生再起動の第一目標でした。計画では事故からちょうど1年経過した6月初旬の予定でしたが、ボランティア活動に堪えうる身体への仕上がりを待っての7月下旬の再開になりました。
感謝
 意識不明の重体という生命の崖っぷちから救い出してもらい、人生の再起動をかける所まで回復させてもらいました。初期に命のリレーをしてくださった方々をはじめ手稲渓仁会病院のスタッフの方々そして蔭ながら力添えを頂いた方々に深く深く感謝します。
二度目の震災ボランティア活動
 震災から一年と四ヶ月が経ち、被災地のボランティア拠点も震災ボランティアセンターから復興ボランティアセンターと名称の変更が行われ、ボランティアに要求されるニーズも変化してきています。震災直後のようにテントに寝袋、食料に飲料水と自給自足を求められるような状況にはありません。

インターネットで調べると、前回活動させてもらった野田村では個人ボランティアの受け入れを休止しています。そこで現時点(2012年7月)でも個人ボランティアを受け入れている場所を調べると、岩手県盛岡市が沿岸被災地の後方支援として主催している、宮古市川井地区の廃校を再利用したボランティア拠点「かわいキャンプ」の存在をしりました。

そこでは個人ボランティアの募集を随時受け付けており、宿泊可能で沿岸被災地のボランティアニーズとのマッチング(斡旋)も行っているとあります。

そこでかわいキャンプを最終バックアップとして、活動装備をバイクに積んで、まずは野田村に向かいました。

野田村社会福祉協議会ボランティアセンターで話を伺うと、やはり個人ボランティアの活動ニーズは無いので、かわいキャンプに合流しました。一昨年廃校になった宮古高校川井分校を活用したボランティアの拠点施設「かわいキャンプ」では個人ボランティアを大募集中です。

高校の校舎を改造した宿泊施設に寝泊りし、調理実習室の食卓を囲み、毎朝朝礼を行い、まるで合宿のような雰囲気の中で皆でボランティア活動に勤しみました。活動は移動日を含めた一週間の日程のうちの四日間です。
7月28日(土)
大槌町のお寺の草刈清掃
町を見下ろす山の斜面には身を寄せ合うようにしてびっしりお墓が並んでいます。そのほとんどの墓石には真新しい名前が刻まれていました。平成23年3月11日付けで四人の名前が刻まれたお墓に目がとまりました。地元の方が基礎だけが残る町を見下ろして「生きてる人がやられて、死んでいる人が助かった」そうつぶやきました。このお寺では数十人の方々が非難生活を送ったとおしえてくれました。
昼食はプレハブ作りの大槌町復興食堂
7月29日(日)
大槌町 吉里吉里地区道路側溝泥だし
基礎だけになった町並みに通る道路の側溝の清掃作業。コンクリート製の蓋を専用の器具を使って持ち上げて外し、溝の内部に溜まった津波の泥や屋根瓦をスコップや柄杓状の道具でかき出し箒で綺麗にして蓋を閉める作業。
昼食はプレハブ作りの大槌町復興食堂
7月30日(月)
宮古市 サロン活動
宮古市西ヶ丘仮設住宅でのサロン活動 仮設住宅の一角にはサロンとか談話室と呼ばれる住民の方達の交流を目的とした場憩いの場所があます。そこでの支援活動をサロン活動と言い、心の復興を手助けする活動です。具体的には「話相手になる、遊び相手になる」といった受身のものや「何かの芸を披露して楽しんでもらう」という催しを仕掛ける活動まで様々あります。
7月31日(火)
宮古市 サロン活動
昨日のサロン活動で「礼文島の花の写真が見たい」とリクエストをいただいたので、かわいキャンプに帰ってから急遽ホームーページがらカメラのメモリーに写真を落として、カメラをサロンのテレビにつなげてスライドショーをしてみてもらいました。ここで出会った被災者の方とは今後も継続的に繋がっていきたいと思います。
実際に現場で活動してみると、
「ボランティアニーズがいくらでもある」
という事が分かります。
被災地の報道が減ってきて、遠くに住んでいるとよもや忘れてしまいがちになる大災害の爪痕は、まだまだ癒える所では無く痛みを発し続けていました。
「またすぐ帰ってきます」との思いを持って札幌に帰りました。
かわいキャンプの休憩室の写真
かわいキャンプの休憩室 
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