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11)バイクに乗って旅に出た2004夏_その四
 太平洋戦争末期、敵に沖縄上陸をされた旧日本軍は、万策尽きてついに捨て身の自爆攻撃を始めた。それは17歳を筆頭に前途ある若者を確実に殺していく行為だった。「爆弾を抱えた戦闘機を敵艦に体当たりさせて攻撃する」という特別攻撃、今冷静に考えるとありえない攻撃だが、既に海軍が全滅状態になり、沖縄に上陸されたこのうえは、神風が吹く事に掛けるしかなかった背景があった。

 大戦末期の日本には、全ての物資が不足しており、まともに戦える戦闘機は少なく、整備する部品も無く不完全な機体に爆弾の重りを付けられ、粗悪なガソリンを積み、十分な訓練を受ける事の出来なかった未熟な若者に操縦させて、スロットル全開に出来ない機体を騙し騙し飛ばして適地に向かっても、敵艦突入前にほぼ撃墜されてしまう事は軍上層部には判っていたはずだった、

 あまつさえ速度の遅い訓練機に爆弾背負わせて特攻に向かわすなど正気の沙汰とは思えない、それは敵に日本軍の覚悟を見せ付ける作戦だったのか、あるいは本土決戦に備える時間稼ぎだったのか、想像の域を出ません。

 それでも、若者は「一撃轟沈」のチャンスを与えられた事を名誉とし、操縦桿を握りしめ命を散らしていったのです。
 
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