ミスターバイク誌1月号掲載記事
がんばれ難病患者日本一周激励マラソン現在走行中!!(第四回)
 難病患者への支援を訴えながら日本全国を走る、マラソンランナー澤本和雄さん。彼をサポートするのがアフリカツインで伴走する佐藤真吾氏。この号の発売頃は既にゴールしているはずだが(11月29日ゴール予定)途中までの様子を現地より生レポートだ。
 また、http://w3.thirdwork.co.jp/でも詳しい内容がわかるぞ。(募金や激励メッセージは、
JPC事務局TEL03-3985-7591へ)
 10月24日直川村から臼杵市までR217号55Km
でかいお寺の切り立った石垣におばちゃんが張り付いている、高さは7〜8mは、あるだろうか?草むしりをしていると言う、なめらかな3点支持で、体重移動しながら上下左右に動き回る、山登りのフリークライミングの大会に出したら、けっこういいとこいくんじゃなかろうか?
 10月25日臼杵市から大分市経由でフェリーで、松山市までR217号56Km
九州から四国に渡る三回目のフェリーに乗る、夕暮れ時の船出は情緒がある、沈み行く夕日を背に船は進む、正面からは月が昇る、いよいよ四国上陸、車両甲板の先頭部分にはバイクが5台、ゲートが開く瞬間を見つめている、

 船が接岸する最後のショックが、バイクを支える足に伝わる、それぞれが皆無言で、気持ちとエンジンを始動させる、ゲートがゆっくりと動き出す、濃いガソリン臭い排気ガスと、反響する低い排気音に包まれる、作業員のGOの合図で一斉に動き出す、でこぼこの鋼鈑を駆け下りて、港のコンクリートに乗った瞬間から、それぞれの道を走り出す、

 みんな無事でいい旅を!

 10月27日柳谷村から日高村までR33号57Km
今日は雨の中のスタートになる、山深い土地に雨が降ると川はすぐに増水する。川を挟んだ向こう岸に、一軒の小さな農家があった。そこに伸びる低い橋は、すでに冠水している。裏側に道がある様子はない。

 どうするんだろう?飛ぶのか?

 10月28日日高村から高知市経由安芸市までR33号52Km
女子高の前でほぼ全校生の歓迎を受ける。授業のいっかんとして、先生と一緒に生徒の伴走が10人ほどつく、

 学校前でキャーキャーいわれてみんな、おだつ。

 10月29日安芸市から東洋町までR55号73Km
今日は山越え、野根山峠というかつての参勤交代にもつかわれていた道を行く、四国の山は非常に奥深い、勾配と曲がり角度がすばらしい。油断してたらそく谷底だ、昔の人は偉かった。
 10月30日東洋町から日和佐町までR55号49Km
ここらへんはめずらしく自然海岸が残っている、山も植林されていない自然林が残されている、川も護岸工事のない自然の状態が残っている。こういう場所は北海道にも残り少ない。これからも残っていってほしい。
 11月2日引田町から高松市までR11号45Km
今日の宿は、病院のリハビリセンター内の宿泊施設。久しぶりに、病院のギャッジベットで眠る、健康な時には普通お世話にはならないものだが、なんと快適なベットだろう、自分の部屋に一台ほしくなる、事故で入院してた時は、あんなにいやだったものが、 ちなみにここは、一泊600円なり、
 11月3日高松市からフェリーで玉野市、岡山市まで県道45号20Km
今日は、フェリーに乗って本土再上陸、フェリーに乗るのはこれで4回目後は最後の一回を残すのみ。昼飯はさまざまな客層でにぎわっている、セルフサービスのうどん屋、ねぎ入れ放題のすうどん一杯130円なり、うどんはすばらしい。
 11月4日岡山市から相生市までR2号61Km
83歳現役ライダーの爺様が、飛び入りで応援してくれた。爺様の時代の免許には後で普通免許も付くはずなんだが、「車なんかのらねえよぅ」と、やったらしい、バイク一筋70年、大きな事故は無く、怪我もしていないという。
 生涯乗り続けること、目指すバイク乗りの姿がここにもあった。

 今はボランティアで、郷土を伝える語り部の仕事をしているという、最後に手を振ってさっそうと走り去る姿が、かっこいいぜ、爺様!

 11月5日相生市から明石市までR2号55Km
今日の宿はこの旅はじまって以来の超豪華版、部屋の窓から一望出来る、ライトアップされた明石海峡大橋を肴に酒が飲める。

 5年前にここを訪れた時は、フェリーで淡路島に渡っていった、それが今、わずか数分で海の上をバイクで走っていける、

 11月6日明石市から神戸市経由大阪市までR2号58Km
神戸市内の地震の被害が大きかった所を通る、テレビで見た高速道路が倒れていたその下の道路だ、当時の痕跡を探すが新築の建物が多いということぐらいで、見つけることが出来なかった。

 本当にちゃんと元道理に回復しているんだろうか?

 11月8日大阪市から奈良市まで県道1号38km
朝一で高速に乗って神戸まで往復する。高架の上は見晴らしがいい、この道はかつて地震で倒壊した道だ、この状態でもしここがいきなり倒れたら、まず命は無いだろう、上を走っていると倒れることなど想像出来ないが、下から見上げると物理的に十分それがありえることが実感できる。

 見る視点によって物事の捉え方に変化が起こる。常に身を張って走るバイク乗りの視点は、危険を敏感に察知する視点。

 11月9日奈良市から富田林市までR24号40Km
奈良公園の横の道路に鹿が出てきている、車とぶつかったりしないんだろうか?かつて一度だけバイクで、でかい蝦夷鹿とぶつかったことがある、そのときは運良くかする程度で済んでいるが、まとまにぶつかっていたら、

 今の自分はここにいない。

 11月10日富田林市から和歌山市までR170号57Km
道端で柿を売っているのを見つける、柿にこんなにたくさんの種類があるとは知らなかった。早速何種類か買って食べてみると、安い物のほうが味が濃く美味いと思った。

 11月11日和歌山市から五条市までR24号59Km
山ミミズのかんたろうさんが、たくさん道に出てきているということは森が豊かだということか、もしフルバンクのコーナーリング中に長さ40センチ太さは小指ほどもある彼らの上に乗ってしまったら、

 そのまま森の土と戯れることになりそうだ、

 11月12日五条市から波瀬までR370号55Km
バイクでサポートしつつ、さまざまなものを写真に撮っているんだが、摘んで行きたい花もある、タンデムシートに積んで帰りたい花との別れは、いつの日にか忘れていた、切ない思いを呼び起こす、日本中見てきて一番だね。
 11月14日松坂市から津市までR23号17Km
今日の宿は、町営の温泉保養センター、ものすごく繁盛している。入浴料大人100円で温泉に入れるなら、そら毎日いくわな。
 11月15日津市から多度町までR258号58Km
今日は朝から雨模様、夕方に向けて雨足は、激しくなる一方、休み明けの五十日、交通量も激しい、歩道を走るランナーのほうが車よりも早い。激しい渋滞で、それをすり抜け追従するには、神経を消耗する、

 渋滞を抜けると今度は、一変みんなこぞって競争が始まる、乗用車もトラックもアクセルのあけっぷりがいい、狭い片側2車線を、ここぞとばかりに飛ばしてくる、雨で視界が悪いのに、車線変更を繰り返して加速してくる、それらをかわしつつ、泥しぶきをたっぷり浴びて、ぐんなりしていた時、一台の車がバイクに横着けしてきた、

 ん?と、見ると助手席の子供が、窓から手を出して、千円札を差し出している、奥には、運転する母親の姿が、
 「何かの足しにして下さい、がんばってください!」・「ありがとう!」たったこれだけの会話、そのまま走りながら、右手で受け取る、車は流れに沿って走り去る、

 子供が雨に濡れながら窓からしきりに手を振っている、こちらもふらつきながら手を振り返すこの間わずか十数秒の突然の出来事。冷えきった体に人の温もりを感じる瞬間、宿にたどり着いたころには、身体の心まで濡れ鼠、でも心のしんは、まだ温もっている。

 11月16日多度町から岐阜市までR258号46Km
今日は快晴。そして冷たい風が強い、まともな向い風にランナーは、時速6kmで進む。この速度で進むバイクに風は容赦ない、すれすれを抜いていく大型車のまきおこす乱流にふらつかないように必死で耐える一日。

 11月18日名古屋市から音羽町までR1号62Km
国道一号線は、気を抜く暇がない、バイパスは人間通行不可で、複雑な迂回をしいられる、はずさないようにナビゲートするには、バイクを降りて歩道を押して歩くという技も使わざるをえない。

 寒さに合わせて厚着をしているので、重いバイクを押して歩くと、ちょっとした傾斜でもすぐに汗が出る、その汗が、乗って走り出すと身体を冷やすことになる、この仕事では、バイクに乗る通常の体温のコントロールが通用しない、

 11月19日音羽町から磐田市までR1号59Km
3ヶ月前、旅の途中の南に向かう道すがらに、出会った日本一周中のツーリングライダーに、また偶然合う。お互いこの3ヶ月間に南の島まで行って、折り返してきている、それぞれに何を見てきたのか?日本は狭いのか?
編集部に届いた応援イラストの写真 記事に掲載されたアホ顔をしている写真
栃木県芳賀郡 荒川家全員より応援画!! タイトルの写真(東海道にて撮影)
平成12年1月10日(モーターマガジン社)発行ミスターバイク誌1月号152ページ掲載
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