次へ
10-10)
 今回の旅の目的地 鹿児島県知覧町 知覧特攻平和会館です。 前回訪れたのは4年前の2005年でした。そのときに読ませて貰った一通の手紙、 その手紙から頂いた力の御蔭で後に直面する、大きな危機を乗り切る事が出来ました。そのお礼をするために訪れました。今回はさらに立体ケースの手紙を全部読むつもりで臨みます。・・・

 知覧特攻平和会館には主に大東亜戦争末期(太平洋戦争末期)に行われた体当たり攻撃の特攻について、旧日本陸軍知覧特攻基地に関する様々な資料が展示されています。

 広々とした館内は、いくつかのエリアに分けられていて、実際の戦闘機が三機と実物大の複製機が一機が展示されており、テーマごとに機能的に展示解説されています。

 館内には立体ケースと呼ばれる大きなガラス面をもった展示箱があります。中には照明に照らされて多数の展示物が陳列されています。その下段には子供の学習机程の広さの引き出しがついていて、上面ガラスで挟むかたちで手紙や書類が読めるように保存されています。

 各立体ケースは16あり、それぞれに引き出しが二列六段あります。 合計すると引き出しの数は192段あります。 手紙、遺書、絶筆、命令書、表彰状、など、その立体ケースに展示しきれない様々な書類が下の引き出しに保管されています。立体ケースそのものに展示されている分を含めてその数は膨大です。

 館内の展示資料はどれも貴重なものです。中でも特攻隊隊員の遺族の方々が寄贈して下さった手紙については特別なものだと思っています。手紙は人を思い人がしたためた、生きた言葉です。

 立体ケースには生きた手紙が保存されています。
 前回訪れた時には、ただ、涙、涙で打ちのめされて、漠然とした印象しか受けとる事ができませんでした。それでも頂いた力はとても大きく心の強化になりました。 しかし生きた言葉を正確に受け取るには相応の準備が必要でした。
 それは当事の時代背景を具体的に知るという準備です。 何故戦争になったのか、どんな戦いがあったのか、何故特攻隊が出撃するのか、人々は何を見ていたのか、時代はどんな空気だったのか、湧き上がる疑問を埋めるように図書館で本を読み、時間をかけて噛み砕いて、ようやく自分なりの解釈を携えての再来です。

 詰め将棋の対局を再現するように、架空の将棋板の上に歴史的事実をそれぞれの位置に配置して、その中に自分の思考を置いた上で、手紙と向き合いゆっくり読み始めます。

 冷静に、冷静に、それでも涙が溢れ出し文字が読めなくなります。すぐにティッシュで涙を拭い鼻をかみ、目を逸らさずに向き合います。 男が涙を見せるものでは無い、特にこの時代には許されない空気があったようです。男子たるもの涙を見せるものではない、手紙にもはっきりそう書いてあります。

 現代においても男が涙をみせるものではない、人前で涙をみせる事は恥ずかしい、かっこ悪い、そんな気持ちから、手紙を読み進んで涙がこぼれそうになると、目を逸らして涙がこぼれないようにする。

 まわりに判らないようにうまく誤魔化そうとする。まわりを気にして感情を抑えて冷静を装う。・・・それが4年前の自分の姿でした。
今回は三日かけてその手紙を全部読むつもりで訪れました。
 しかし今回は違います。あらかじめウエストバッグにゴミ袋を提げて、大量のティッシュを用意して、人目をはばからず溢れる涙を拭い、流れる鼻水を拭い、ゴミ袋を一杯に膨らませて手紙を読み進みます。 もう他人の眼は意識に無く、目の前の手紙に集中するのみです。

 館内は照明がやや落とされているので、古い手紙を読むには照度がやや足りません。そこであらかじめ小型のLEDライトを手に握り込み、指の隙間から読む部分にだけ小さく光を当てて少しずつ読み進みます。

 展示ケースの前に跪(ひざまず)いて、引き出しを引いて真上から見降ろす形で手紙を読んでいるので、文面に感極まって涙が出ると、眼球の真ん中に流れて溜まってしまいます。するとそれが少しであっても焦点がぼやけて読めなくなります。油断するとそのままガラスケースに涙を落としてしまいます。

 そのたびにティッシュを出して涙を拭い鼻をかみ、もう一度戻って読み直します。 
 またすぐに涙が溢れ、ティッシュを出して涙を拭い鼻をかみ、もう一度戻って読み直します。

 根気強く繰り返しながら少しずつ読み進むと、徐々に感情を堪える事が出来るようになり、手紙の文面から本当に伝えたかった事を読み取る準備が出来てきます。
軍事検閲
 当事の手紙には厳しい軍事検閲がかかっていて、言いたいことを全て書けている訳ではありません。検閲にかからない言葉を選ぶようにして書かれています。例えば「特攻」という言葉は使われません。「○兵器」と書かれます。

 また、軍を批判するような事は絶対に書けません。心情的には時代の空気に絡めるように読み手に伝える表現が使われていたり、当事者間でしか判らないような事象が引き合いに出されていたりと、それぞれに真意を伝える工夫をこらしています。

 さらに時期を追って読み進むと、戦況の悪化に伴い検閲もままならない状況になっていく様も読み取れます。

 開戦当事には最新鋭の兵器に優秀な兵員によって連戦連勝を重ねて快進撃を続けた日本軍も、やがて米軍の猛反撃を受けるようになります。日米には国力の差からくる兵器の開発力及び生産力に歴然の差があり、その圧倒的な性能と物量で投入されてくる新兵器を前に、日本軍は総崩れになっていきます。

 日米の国力の差は開戦する前から分かりきった事でしたが、当事のアジア諸国は欧米の列強国に、ことごとく植民地支配されている実態があり、列強の米国が日本に仕掛けてきた兵糧攻め(石油の輸出禁止等)に、ついに刀を抜いたものです。
 現場の兵士はそう信じて戦っていたようです。
 
 圧倒的な物量で攻めてくる敵に打ち勝つには、圧倒的な精神力をもって立ち向かうしかありませんでした。それは極端な形で現れます。

 勇敢に戦った後の降伏も認めず、「生きて捕虜になるのは恥じ」 としてことごとく全滅していく、 論理的に攻めてくる相手に、精神論で立ち向かう事を強要された南方諸島の戦場で悲劇が起こります。
 その無念の死を知っている兵士は敵戦艦と一対一で刺し違えるチャンスを与えられた事を幸運だと言い、必死轟沈の一念で一万円の棺桶に乗って突撃して行きました。

*轟沈=一瞬にして(突入から数分以内)艦船を撃沈すること
*一万円の棺桶=当事の戦闘機の事を言った手紙の中の言葉
 
 戦争末期には、まるで刀と銃の戦いのような圧倒的な優越がありましたが、それでも日本軍は捨て鉢になっていた訳では無く、本土決戦用に陣地を作り、兵器の温存を図りつつ、通常出撃の攻撃も続けていて、主に単発の夜襲をかけて少ないながらも戦果を上げていました。

 そんな中、戦局打開の秘密兵器を求めるあまり、生み出された「○兵器」

 初めから生還を望まず、兵士自ら肉弾となり敵に体当たりして敵を倒す。
今考えれば、あまりに常識外れに思える作戦も、
当事は背に腹は代えられない現実があったようです。

 作戦実行当初は、意表を突いた作戦は成功し、戦果を上げる事ができましたが、すぐに理論的な対策を立てられて防御されるようになってしまいます。

 技術力と物量を背景に、二重三重の水も漏らさぬ迎撃体制を敷かれてしまい、作戦の成功は極めて難しいものになります。
秘密兵器
 砲弾に電源と真空管回路で構成されるドップラーレーダーを組み込んだ、飛躍的に命中精度の高い高射砲弾。 それは発射と同時に敵機の接近を検出しながら飛んで行き、ある一定の距離に接近した瞬間に炸薬を点火、炸裂し、その破片を確実に命中させて撃墜する。

 それが「VT信管」と呼ばれる米軍の秘密兵器、ちょうど打ち上げ花火が空中で爆発して空一杯に広がるように破片を飛び散らせ、その破裂円内の目標を破壊してしまう。
 
米軍の秘密兵器と日本軍の秘密兵器、その違いは歴然としている。

 そもそも戦闘機には大型爆弾を搭載するようには設計されていません。機銃を取り外されて大型爆弾の錘をつけられた戦闘機は極端に飛行速度が落ち、高いはずの運動性能も失ってしまいます。

 全ての物資の不足から戦闘機そのものを構成する部品も品質の低下が著しく、完調な戦闘機は本土決戦用に温存され、それ以外を特攻機に転用する。加えて燃料の品質も低下が著しく、良質な燃料は高高度まで飛行してB29爆撃機を迎撃する戦闘機等に使われる。、
 
 特攻機は何がしらの不調をかかえるエンジンに低品質燃料を入れて、スロットル全開全速力を出せない状態のままエンジンを壊さないようにだましだまし飛ばして敵地に向かうといったありさまだったようです。

 そこに米軍はあらかじめ日本軍の攻撃を高性能レーダーではるか遠方より察知し、大馬力、高速度、重武装の最新鋭戦闘機を大量に待ち伏せさせて、撃ち返す機銃を積んでいない特攻機を片っ端から撃墜してしまいます。

 本来はそれを守る護衛機が敵機を蹴散らし、特攻機が敵主要艦船に突入して本懐を遂げる所を見届けて帰還し、戦果を報告することになっていますが、多勢に無勢、護衛機もろとも全て打ち落とされてしまいます。

 やがて度重なる攻撃でパイロットも機体も消耗し、数を揃える事が出来なくなり、若き優秀な頭脳までも特攻兵器として消耗させることになっていきます。、その優秀さゆえに大きな葛藤を明晰な手紙として書き残されています。
 
 
特攻隊員の手紙
 
 勇敢に戦った後の降伏も認めず自決を強要し、前線の兵士はことごとく全滅玉砕していく中で、死に場所を与えられた事を名誉に思うとする気持ちをしたためた手紙、
 特攻作戦が成功する可能性は極めて低いと判った上での先に逝った戦友の後に続く為の出撃前にしたためた手紙
 最後の帰郷の見送りで名を呼びながらホームを走る母に、泣き崩れたその顔を見せる事が出来なかった後悔を胸に逝く出撃、
 特攻で逝く心残りにならないように「先に行って待っています」と遺書を残して入水自殺をしてしまった妻子と共に逝く出撃、
 残して行く婚約者の幸せをひたすらに願いその心の叫びを置いて、手編みのマフラーと共に逝く出撃、
 父無し子になる幼子が将来寂しい思いをしないように、心の支えになる励ましの手紙をひらがなで書き残して行く出撃、
 父母の身体を思いやり孝行出来ずに行く事を心残りに詫びて逝く出撃、
 病弱だった子供の頃たくさん苦労をかけてしまったこと、学生の頃起した不始末で迷惑をかけた事、生い立ちを回想し母に感謝の言葉を残して逝く出撃、
 
 心に突き刺さる文脈を真正面から受け止めてボロボロに涙を流しながら向き合った結果見えてきたのは、

 一通一通の手紙はそれぞれが一人一人の人生で、一人一人が生きた証しで、出撃する手紙は、死に逝く手紙では無く、生きる為の手紙で、残された者への、強く生てほしいと願うメッセージでした。

 

 夕方になり閉館時間が近づく中、時計を気にしながら急いで手紙を読んでいる自分に気が付きました。 それは立体ケースの引き出しを全部読むという自分の達成感を満足させるために急いでいる姿でした。

  ・・・違う、何か違う。 引き出しを閉じました。手紙の人が何を言わんとするのか、その心をわかりたいという思いで向き合っているはずが、いつの間にか方向がずれていました。

 最初の段階で引き出しの数と滞在時間を割り算して、1時間当たり8段の引き出しを読むと全部読めると皮算用していました。

 しかしそれは全部読めたとしても、単に見たという類のもので、理解した、読んだ、という事には程遠い、いまさらながらそんな事に気が付いて方針変更しました。数を欲張っても全く消化しきれないので、日程を一日減らして二日間に絞って読ませてもらう事にしました。

 一通一通の手紙との出会いも大切に考えて、しっかり心に書き留めて持ち帰り次回訪れる時までゆっくり考える事にします。
次の写真に進む
表題に戻る・・・・・・・・・・