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2-20)おまけの東北ツーリング
 準備をあらかた済ませて席に座りほっと一息、長い影を残して山陰に逃げ込もうとするお日様の尻にビールをぶつけて乾杯!これから始まる焚き火の夜に感謝感謝。

 湖面を夕日色に染めて山陰に日が沈み、影の無い静かな時間が始まります。やがて夕焼けの残像が雲を濃い紫に染めて湖に映し出され、背後の森から暗闇が忍び寄る。

 急ぎの作業でうっすら汗ばんだ身体に寒さが刺さり始める頃、十分に暗闇をひき付けておいてから、火床に盛った木の皮にライターの火を移し育て始めます。

 割り箸程の小枝を重ね、小指程の小枝を重ね、親指程の小枝を重ね、手首程の薪を重ね、足首程の薪に炎が移り始める頃、全ての緊張から解かれた焚き火の時間が始まります。

 燃え盛る炎で程よく温まって背中のヒンヤリが心地よくなった頃、大きな石にクッションシートを乗せた特等席を少し下げて、長めの棒で突っついて、コッヘルを焚き火に押し付けて湯を沸かし、傍らに酒瓶を転がしてやります。中で酒が赤々と炎に染まっている。時折瓶を回しながらじっくり炙り酒にしていく。

 湯が沸いてカップ麺を食う、昨朝の地元衆のインスタントラーメンを思い出しながら、蕎麦を食べる。麺を手繰り、熱い汁を啜る。枯れ枝の温もりが身体に染み入る瞬間、焚き火のカップ麺はあたたかい。

 一心地着いて周囲を見渡すと、湖畔を漂う湿度を含んだ重たい空気が重厚な煙となってゆっくり空へ上っていく、目で追うと群青色の山影より上は星達の支配下になっていた。

 燃え盛る炎を見つめていたら、この夏に亡くなったバイク仲間の事を考えていた。誰にも言わないからと席を作って酒を置いた。ガンだった。冬に一緒にスキーをして酒を飲み笑っていたはずが、あっという間に弱って夏に死んでしまった。

 命には終わりが来る事は頭では解っているつもりでも、実は全く解っていなかった。一つだけ解っている事は命ある限り「一生懸命生きる」という事だけ。

 それも「一生懸命生きる」と、言葉は作れるが、実際に100パーセントの絶望を前にして「どう一生懸命生きられるというのか?」


 深い所を流離う旅に出てしまった。


 火床で生まれた種火が成長して炎になり、強力なエネルギーを出して周囲を暖め照らし、やがて全て灰になって土に返る。

 焚き火は命なのか?命が焚き火のようなのか?

 炎は命そのものだ、熱いエネルギーの塊にして実態は無く、燃え尽きるまでひたすらに燃えて、後には灰が残こるのみ。

 とっくに酒瓶が空になり、予備の焼酎もやっつけて、薪もあらかた熾きになった頃、焚き火風味の白湯を飲んで〆とした。

 絶好の環境で焚き火と向き合う夜。こんなぜいたくをさせてくれた田沢湖の神様に感謝
 
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