104)東日本大震災 復興ボランティア活動 その5 |
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東日本大震災三周年追悼式 |
2014年3月11日〜3月13日の日程で岩手県宮古市主催の東日本大震災三周年追悼式に参列させてもらってきました。
宮古市主催の追悼式には、ご遺族の方以外に県外の一般参列者の献花をさせてもらえるとの情報を得て、昨年一昨年と参列叶わずにいた気持ちを持って初めての追悼式に参列させてもらいました。
午後の式に合わせて前日21時15分苫小牧港発八戸行きのフェリーに乗って乗用車で向かいました。 |
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2014年3月11日火曜日 |
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式は午後1時30分から始まるので、すこし早めに宮古に入り、会場や駐車場などを確認してから道の駅に向かいました。
宮古の道の駅「なあど」には復興に向かう姿がわかりやすく展示されています。漁港直送の新鮮な海産物や産地直送の野菜も販売されていて、各種お土産も販売されています。2階にはレストランも併設されています。 |
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「なあど」から数分の愛宕(あたご)地区にある愛宕食堂で早めの昼食をいただきます。ここは川井キャンプの支援員の方に教えてもらって行くようになった地元で愛されている食堂です。 |
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新聞やテレビの内容は「被災地」と「それ以外」の地域では大きな違いがあります。それらが日々積み重ねられる事で、認識の温度差が広がっていくものと感じます。地元新聞はコンビニで複数買ってお土産にします。 |
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愛宕食堂の焼き魚定食です。おいしくて安くてボリュームたっぷりという三拍子揃っています。 |
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最後の献花の段になってから一枚だけ会場の写真を撮らせてもらいました。
式典での遺族の方々のお話は、重く辛い中でも顔を上げて歩いて行く。後ろを振り返らない気持ちが伝わってくるお話でした。
式の最後にボランティアの大学生によるしめやかな献奏に包まれた会場で参列者全員の献花になりました。 |
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地域コミュニティーFMラジオの情報により大槌町でキャンドルを灯す事を知り、式の後に向かいました。 |
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後方に旧市街地を望んでいますが町明かりがありません。 |
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「かわいキャンプ」の活動で畑の整備等で知り合わせてもらった被災者の方のお宅に今回初めて夕食に招いていただきました。野菜とホッキ貝を昆布だしで炊いた煮物。ホッキの旨みとニンジンの甘みが調和したやさしい味がしました。 |
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今回初めて仮設住宅に招いていただきました。その実態は体育館等の避難所よりは「まし」という住居でした。プレハブの物置を薄い仕切りで区切ったような構造で、内部の音や振動はドアの開閉から、まな板を使う包丁の切断音まで筒抜けに伝わります。
テレビの音も最小にして、ひそひそ話し、子供達は常に静かにする事を強制されて、子供らしい元気な声を封印されています。
断熱性の乏しい薄壁に囲まれた室内は深深と寒く、暖房を入れると温度差による隙間風が著しく、それを目張りをすると今度は激しく結露します。
壁や床の結露は慢性的で畳はカビで変色し、壁や床材はふやけてブヨブヨになり、カビが浸潤して臭いが蔓延します。 |
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寒さに耐える為にキャンプ用の銀マットや敷布を使っていますが、隙間に結露が起こりカビの温床になっています。
居間権寝室がこの状態です。就寝時には暖房は消さなければならないのでアコーディオンカーテンの隙間をビニールで塞ぎ、ダンボールで塞ぎ、さらに発泡スチロールの建材で塞いでいますが、明け方には耐え難い寒さになるようです。
台所は狭く、通常の料理を作れる環境とは思えません。それでも工夫して日々暮らしているようです。
生活して行く事そのものが逃げ場の無いストレスになり、心を病んでしまう方も少なくないようです。
仮設住宅の現状を知ってもらう必要を感じて公開許諾を得て説明を受けて撮影させてもらいました。 |
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旧大槌町中心部は2年前とさほど変わっていないように見えます。旧役場前には一般の献花を受け付ける献花台が設えてあります。 |
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