114)東日本大震災 復興ボランティア活動 その13
野田駅に張ってあったベアレンビアフェスタin野田村2015のポスター
2015年5月9日〜5月15日 岩手県でニジ作りをしてきました。

ついでに食べる応援、飲む応援という事で、前乗りしてベアレンビアフェスタin野田村2015に参加してきました。
野田村の美味しい料理と、味わい深いご馳走ビールの飲み放題!絶好調のビール祭りを堪能させてもらいました.。
ベアレンビアフェスタin野田村2015の前売りチケットの写真
楽しい美味しい写真を紹介したいのですが、・・・できません。撮影データを紛失してしまいました。

なんと、、、後日引越しのドサクサでカメラを失くすというへまをやらかしてしまいました。

まあそのうち出てくるだろうとの甘い期待も遠くなり必死で探すも見つかりません。残念確定のようです。
過去にカメラに救われた経験からカメラは常に携行し何処にでも連れて歩いています。そのため落下や水没といったトラブルも経験しています。

それらは通常の使用上のリスクなので仕方ない部分がありますが、紛失は注意力の欠如以外の何者でも無く、頭の性能が低下している事の現われです。

容量の大きなメモリーカードを入れていた事もデーター回収頻度を下げる事になり、データーごと紛失するという大技に繋がっています。
反省と再発防止策を考えつつ、勉強料として同じカメラを買いなおして再スタートです。

本題とそれましたが、という訳で今回は撮影写真が無いので前後に撮影された写真を使っています。

「ベアレンビアフェスタ in 野田村2015」
私にこのお祭りのすばらしさを文章で伝える能力はありません。
ネットの検索サイトに並んでいる怪しげな飲み放題とは対極を成す、本物の御馳走ビールの飲み放題です!前売り2000円って、ほぼチャリティーに近いのでは?と心配になってしまいます。
余震を伝える2015年5月14日の河北新聞の写真
5月13日朝の6時13分、岩手県大槌町で震度5の地震にたたき起こされました。いきなり強く揺さぶられて深い眠りから一気に目覚め、半身を起こして周囲を凝視していました。被災地に通ううち余震には慣れてしまっていましたが、3ヶ月前に宮古で経験した停止中の車の中で経験した震度5よりも激しい揺れに感じました。

実はそのとき前夜に居酒屋で同席して盛り上がり、一緒に飲んでいた方のお宅に泊めてもらっていた。という特殊な状況下で地震に遭遇したものです。

その方のお宅も3.11震災の津波で二階下まで水没していました。震災当時は押し寄せる津波に避難が間に合わないと判断して、自宅前の道端で泣いている子供を招き入れて二階に逃げて窓から見ていた町の様子を話してくれました。そんな話もあり、趣味の話や、海外の話で盛り上がり、また明日〜と、いい気持ちで眠っていた所を揺り起こされました。

強い地震に叩き起こされると通常より恐ろしい。
それは起きていれば、最初の揺れ、短く鋭い揺れを感じて地震の発生を知った瞬間から、次の本震が到達するまでの時間を計る事で震源からの距離を推察する事ができます。

それは雷が、ピカッと光ってから何秒後に音が聞こえるかで概ねの距離が推察できる原理と同じです。

しかし寝ているので震源までの推察が出来ません。もし震源が至近距離なら奥尻地震のように数分で津波が襲ってくるかもしれません。

どうするか?

自分の車は商店街の駐車場に停めたままです。防寒着や雨具、水食料、寝袋、ガスコンロやコッヘル等キャンプ道具、携帯ラジオ、携帯テレビ、トランシーバー、予備電池など全ての非常装備は車にあります。

昨夜はとりあえず貴重品だけ持ってきのみきのまままで、タクシーに乗り込んできたものでした。

被災地に入るうえで準備していた非常装備の全てを失った状態で徒歩で避難する事になります。そもそそ初対面の方と居酒屋で意気投合してお宅に招かれて飲み直し、そのまま泊めてもらうという事は想定していませんでした。

もし遠くの高台まで歩いて逃げるとしたら杖歩行の自分は通常より時間がかかります。またそれは何処になるのか?周囲の様子を思い出そうとしても避難場所の見当すらつきません。
目覚めてからの揺れている時間が長く、様々な考えが頭の中を走り周りました。

揺れが収まると、飛び起きて家主のいる居間へ向かうと、緊張した表情で「逃げる準備をしましよう」と言われて、テレビを点けて見ると、あの時は直ぐ停電になってしまったけど、今回は大丈夫だろう、と、程なくして地震の規模と震源が特定されて、津波の恐れが無い事が判り一安心。

それから朝ごはんを食べながら地震の話しをしました。震災当時停電になった事、札幌もかなり揺れたので、直ぐにテレビを点けて見入っていた事、予測された津波の高さは3mとの情報が出たので、防潮堤を知っているので直ぐに大丈夫だと思った事、その後テレビに映し出された惨事の事、
もし被災地が停電になっていなかったら、テレビの津波予報見て安心して逃げなかった人がいたかもしれません。自分も現場にいたら逃げなかった可能性があります。逃げる所かカメラを持って津波を見る為に海に行ったかも知れません。
精密な帆船の模型の写真
翌月大槌の方から製作途中だった模型が完成したと写真が届きました。3.11震災の時、水没した自宅一階に飾っていた帆船の模型が津波に流されそうになったのを、あわてて掴まえたそうです。帆船の模型は精密に作り込まれていて、一見しただけでも緻密な作業時間の塊であることが判ります。
チビニジキーホルダーの写真
ニジ活の写真も無いので、現場で見本に作ったものを後日撮影しました。
ぬくっこハウスで作ったチビニジキーホルダーです。皆さんそれぞれに紐にビーズ玉を付けたり、小鈴を付けたりと、一緒に楽しくニジ作りをさせてもらいました。
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