11月旅日記抜粋


10月28日日高村から高知市経由安芸市までR33号52km 女子高の前でほぼ全校生の歓迎を受ける。 授業のいっかんとして、先生と一緒に生徒の伴走が10人ほどつく、 学校前でキャーキャーいわれてみんな、おだつ。
10月31日日和佐町から阿南市までR55号29km 海亀が自然産卵にくる海岸を持つこの町の川のほとりに河童が住むという。 河童は、こまを回して、太鼓をたたいて人々と仲良く暮らしているという、 ここは、昔話と現実がオーバーラップする町日和佐、ここにコンビニはいらない。
11月4日岡山市から相生市までR2号61km 83歳現役ライダーの爺様が、飛び入りで応援してくれた。 爺様の時代の免許には後で普通免許も付くはずなんだが、「車なんかのらねえよぅ」と、 やったらしい、バイク一筋70年、大きな事故は無く、怪我もしていないという。 生涯乗り続けること、目指すバイク乗りの姿がここにもあった。 今はボランティアで、郷土を伝える語り部の仕事をしているという、 最後に手を振ってさっそうと走り去る姿が、かっこいいぜ、爺様!
11月15日津市から多度町までR258号58km 今日は朝から雨模様、夕方に向けて雨足は、激しくなる一方、 休み明けで交通量も多く激しい渋滞、歩道を走るランナーのほうが車よりも早い。 それをすり抜け追従するには、神経を消耗する、 渋滞を抜けると今度は、一変みんなこぞって競争が始まる、狭い片側2車線を、ここぞとばかりに飛ばしてくる、 それらをかわしつつ、泥しぶきをたっぷり浴びて、ぐんなりしていた時、 一台の車がバイクに横着けしてきた、 ん?と、見ると助手席の子供が、窓から手を出して、千円札を差し出している、 奥には、運転する母親の姿が、  「何かの足しにして下さい、がんばってください!」・「ありがとう!」たったこれだけの会話、 そのまま走りながら、右手で受け取る、車は流れに沿って走り去る、 子供が雨に濡れながら窓からしきりに手を振っている、こちらもふらつきながら手を振り返す この間わずか十数秒の突然の出来事。冷えきった体に人の温もりを感じる瞬間、 宿にたどり着いたころには、身体の心まで濡れ鼠、でも心のしんは、まだ温もっている。
11月26日横浜市から東京都までR1で、28km ついに最終章。複雑に入り組んだ非人間的な道路と、尋常ではないその込み具合が、 経済大国日本の中心部にやってきたことを物語る。 コンクリートジャングルを、かき分けて、聳え立つ厚生省にたどり着く。 その時、そこは、人、人、人、人で溢れ返った、通行不能の占拠状態。 しかし、それは、さっきまで掻き分けてきたのプラスチックのように 無表情な人間の群れでは無い。ひまわり畑の真中にいるような 笑顔の洪水の中にいる。「おめでとう。」「ありがとう。」 みんなで小さな力を出し合って大きなひとつの成果を達成する。 その喜びを分かち合う、かがやく笑顔の花畑。 ほんと、みんないい顔してる。
11月29日苫小牧市から札幌市までR36号65km 朝4時半起きの5時スタート、外は真っ暗、気温マイナス7,3度、 凍結、のち圧雪、所により積雪、といった具合の路面コンディション。 こんなに寒さが身にしみたのははじめての経験じゃなかろうか? ・・・・・てなわけで、とっぷりと日も暮れたころ、 北海道庁赤レンガ前にめでたくゴール、嵐の宗谷岬を7月にスタートして 災害レベルの連日の雨にたたかれて、とんでもない猛暑に連日焼かれて 電柱もぶっ倒す風台風にも当たり、きつーい山坂なんのその渋滞、混雑、かいくぐり、 雪の北海道にたった今、帰ってきました。ついに6200km走り切ってゴールしました!
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