旅日記7月25日〜9月19日まで
抜粋なしの原文です
 時速8キロメートルで走る、日本一遅いナナハンの日本一周、亀んライダー通信。
 7月25日宗谷岬から豊富町までR40号63Km
北海道は、稚内の宗谷岬を、出発する。これから4ヶ月かけて全国のすべての都道府県庁を、一筆書きで、文字どうり駆け巡り、最後に国会と、厚生省にいきましょうという、計画が始まった。

 一人のランナーが、日本一周約6200Km、の距離をすべて走り貫く、(海の上は、しょうがないから船ね、)ランナー、一人にサポートカー一台(2名乗車)に伴走バイクが、一台の体制で、3人で一人をサポートします。

 1500Mおきに水や食料などを、ランナーに補給するのが基本で、そのほかにウェアーやシューズの交換トイレや正確なルートガイド、そして歩道が、無いなど交通上危険な場所で、他車からブロックしたり、トンネル、覆道、日没後、などの暗闇で、ランナーの足元を、照らして後ろを守る等の、役目があります。

 バイクに関する準備が、まだ、全然出来てないうちに、スタートの日が駆け足でやってきたというばたばた状態。実は、準備が、出来ていないのは、バイクに限らなかったりすもる。

 初日から力一杯の嵐に見舞われる、それでもイベント好きの稚内市長は、朝から見送りにきてくれた。宗谷岬の元旦の初日の出イベントでも、この人は活躍していた。

 この日はサロベツ原野を、見ながら、R40を、豊富町まで、65Km、走行。気温13度、雨風強し、しかし新品のゴアテックスの合羽は、調子がいいね。

 この時期の北海道は旅人の季節。軽装なアメリカンな旅人たちにはちと厳しい、背中を丸めて先を急ぐ彼らも、合図すると元気良くピースサインが帰ってくる所を見ると、心の中は快晴らしい。 この辺は、人より牛の数のほうが多そうだったりする。
 7月26日豊富町よりR40を、音威子府村まで85Km
「おといねっぷ」と読むんだよ。途中の峠でてこずり、宿に着いて、晩飯が口に入ったのは、22時になっていた、普通に車で走れば、一時間ちょっとの道のりも、生身の人間が、てくてく走れば、その10倍ぐらいかかるんだ。バイクなら、ん〜じゅっ分なんだけどね。(うそ)
 7月27日音威子府村よりR40を、士別市まで75Km
この辺からコンビニなるものが、出てくるようになる。昼飯はコンビニ弁当だ、この日、はじめて夕日が見えた、天候は、これから回復にむかうか?きょうも宿には、明るいうちにはたどり着けない。
 7月28日士別市よりR40を、旭川市まで60Km、
通常バイクでなら稚内から旭川まで4時間かからない、そこを4日かけてたどり着いたわけで、距離と時間の感覚を、一度リセットしないと、脳みそが、正常に作動しなくなる。旭川が大都会に見えてしょうがなかった、交通量も格段に増えてきた。
 7月29日旭川市よりR12R275で北竜町まで60Km
ここは、ひまわりの町だが、ひまわりに冷たい雨は似合わない、ここにきて降り続く雨による被害が出始める。途中の大増水した石狩川には、ドラム缶などの浮かぶ大型のごみがたくさん流れていた、こうして海が汚れていく。
 7月30日雨竜町よりR275で岩見沢市、60Km、
今日も雨の勢いは元気です。対向する大型トラックが、祝福の泥水シャワーを遠くから、力いっぱい浴びせてくれます。後ろからもまけじと、道路のわだちに溜まった水をうまく使って上手にローアングル攻撃をしてくれています。

 時速8Kmで、路肩を、ちんたらしている亀んライダーは、その攻撃をかわすことが出来ません。そんななか、路肩で給水している所に通りかかった近所のばさまが、ハイソフトを、差し入れてくれました。冷たい雨に叩かれて冷え切った体に、温かい気持ちの詰った一粒のあめ、そのやわらかな甘さは、心まで染み透る。
 7月31日岩見沢市よりR12で札幌市40Km
いよいよ交通量が増えてくる。距離が短いので、3時には、到着自分の住んでいる町を、なんだか観光客になったのような感覚で、見ている自分がそこにいた。札幌は、都会だったんだ、しかも観光都市。そんな感傷にひたるひまもなく、最後の機材調整に全ての時間を費やす。

 リミットは明日の12時までだ。睡眠時間は、とりあえず無い。
 8月1日札幌市よりR230で定山渓温泉まで、20Km
札幌で、難病連の全道集会に出席する。この席でスタッフ紹介のスピーチで、「伴走ライダーとして、この会場に来ることの出来ない人達、病気で、寝たきりになっている人達、外に出られない人達の気持ちを、バイクに乗せて、いっしょに走ります。」と、宣言しました。それは、バイクに搭載して持ち歩くデジタルカメラは、カメラに有ってさに有らず、

 そういう状態にある人達の心の目であるという認識で、これからの道中日本全国道々の映像を、インターネットという道具を、使って、広くみんなに発信していきます。という意味で、宣言しています。寝たきりになっている人を、日本一周バイクの旅に連れだそう。(擬似体験的に)というコンセプトのもと、協力してくれる方々のおかげを持ってどうにかこうにかやっていきます。ちなみに私、電卓レベルしか使えない、パソコン度素人のアナログ人間です。

 マラソン隊は、札幌市内で見送られ、総勢30人の伴走ランナーとともに定山渓の宿まで無事走り、一日の日程が、全て終わったとたんに、滝のように雨が降ってきました。
 8月2日定山渓温泉よりR230でニセコ町まで、70Km
今日は朝から土砂降りの中を、スタートする、中山峠の川は濁劇流となっている、その中を列車が通過するときのような地面から響くような音をたてて、岩が、転がっていく石ではなく、岩だ、それが川底を、大量に、ごとごと流れていく、魚たちは大丈夫なのだろうか?
 8月3日ニセコ町よりR230で長万部町まで、70Km
今日は朝から快晴、羊蹄山に見送られて、走り出す、あちこちに大雨の爪あとが残っています。バイクに搭載したナビゲーションのリモコンが、たまたま落としたその隙に、みごとに、狙い済ましたように一台の軽自動車が、やってきて、踏み潰されてしまった。
 8月4日長万部町よりR5で、森町まで60Km
おしゃ、まんべ、(By由利徹)からR5で森町まで60Km朝からピーカンのなかコンビニ弁当から朝が始まる、フェリーで、函館から北海道に上陸したばかりの対向してくる荷物満載のバイカーたち、やつらのバイクの排気音は、全て最高〜と叫んでる。
 8月5日森町からR5で函館市、そしてフェリーで青森まで、40Km、
久々の船旅で、甲板で潮風に吹かれながらビールを、飲ろうと思ったら、なんとこの高速船は、甲板に出ることが出来ない。なんということだ!

 いよいよ本土上陸。何度経験しても、あの、フェリーのゲートが開いていく瞬間は、感動できる。夜にちょっとだけ、見られた、青森ねぶた。その圧倒的なエネルギーは、強烈なものだった。 元気の無い人は、一度ライブで見ることを、お勧めします
 8月6日青森よりR4で、七戸町、60Km、
本土上陸初日は、快晴のスタート、気温は、ぐんぐんと上がり、朝の段階ですでに30度近いものが、あった。日差しが強烈で、一度バイクから降りてしばらくすると、暑くてシートにすわれない。必然的に、ステップに立ったまま、バイクに乗る。
 8月7日七戸よりR4で、二戸まで60Km
このあたりは何処と無く北海道に通じる景色のようなきがした。古くから馬で、栄えた町で、その名残が町の随所に見られる。縄文時代の壷を前に地酒を、飲る機会に恵まれる、3000年前の壷は、時間を超えて当時の繁栄を、物語る。
 8月8日二戸市よりR4で、玉山村まで60Km
R4で、大型車に幅寄せされて路肩のガードレールに衝突する。膝の装具とサイドカウルにスラッシュマークを、着けてしまった。
 8月9日玉山村から盛岡経由で、雫石町までR4号33Km
工程が短く雫石の宿に早く着いたので、温泉を求めてあたりを散策する。探し出した温泉はかつて、この地で開催されたスキーのワールドカップの時に、イタリアチーム指定の宿だった、誇らしげにサインが飾ってあった。この旅初の温泉露天風呂に入る。
 8月10日雫石町から角館町までR46号50Km
角館で、武家屋敷の中を通る、ほんとはじっくり見てみたいのだが。ちょうどルート沿いにある患者さんのお宅に、飛び込みで訪問する。片田舎の民家、落ち着いた畳の部屋に、最新の医療装置が並ぶ光景、人口呼吸器をつけて横たわる患者さんをはじめて目の当たりにして、強烈な印象を受ける。
今日の宿は、静かな温泉宿、携帯電話が使えない山の中。
 8月11日角館町から秋田市までR13号47Km
ここではささやかな歓迎会を、開いてらもう。そこで出された、きゅうりの、あさ漬けは、酒にベストマッチ、ここは、善い水が、善い米を造り。その米と、善い水が、善い酒を、造っている。その酒に合うように、肴が、さらに進化をとげる。患者さんが、不自由なその手で、一生懸命作ってくれたきゅうりのあさ漬けは、たっぷり染み込んだ、思いやりの味がした。
 8月12日秋田市から象潟市までR7号64Km
国道沿いの道端に、ビーチパラソルを広げた、アイスクリーム屋台が、点在する、それは、地元の人の話によると、ばばへらアイスと呼ばれているもので、ばばあが、へらで売っているから。ばばへらなんだと。ひでーいいかたするもんだ。
 8月13日象潟市から酒田市までR7号41Km
酒田に着けば一回目の休養日になる、そう思うと朝からニコニコ。
 8月14日酒田市での休養日
酒田の休日。スタートに間に合わなかったバイクの装備について、やっつける。電動ファン増設、ナビゲーションのバックアップ電源、通信機器の配線引きなおし、溜まった洗濯、溜まった画像データを、それぞれ速攻で、かたずけて、酒を、もとめて酒田のまちにくりだす。そこで見つけた酒田の地酒、「36人衆、純米大吟醸、」静かで、穏やかなのみ口、4合瓶で1500円なり、すばらしい!
 8月15日酒田市よりR47で、新庄市まで60Km
ここら辺は、最上川を、遡る変化に富むコース途中北海道では見られなかった、ひまわり畑の横を通る。上流部に見られる「古代蕎麦」なるものに心引かれるも、地元の案内人いわく「たいした物じゃない」との事だが?・・・
 8月16日新庄市よりR13で、天童市まで60Km
今日は、ハンドルに取り付けた温度センサーは、34度を示している。
 8月17日天童市から山形市経由釜房までR13号42Km
道路が、いたるところで、決壊する。国道の通行止めの区間のみを、開通している高速道路で、移動する。わずか一区間の高速。なんと風の心地良いことか、バイクも涼しそうだ。
 8月18日釜房よりR7で、仙台を経由して柴田町まで60Km
途中で、道路になしが、おちていた。拾ってみんなでたべた、
 8月19日柴田町よりR4で、福島市まで、まで60Km
あいかわらずの暑さの中を、進む。
 8月20日福島市よりR7で、猪苗代町まで60Km
猪苗代湖の夕日は、どこか北海道的な雰囲気が有る。夕日に向って真っ暗になるまで走って、湖畔の宿に到着する。
 8月21日猪苗代町よりR49で、津川町まで70Km
猪苗代湖のほとりには、野口英世博士の生家が有った。博士の時代には、まだ、ウイルスというというものを、発見することが、出来なかった。 簡単に言えば、かぜの原因が、解らなかったってこと、

 ウイルスは、超小さい。ウイルスが、仮に、バレーボールの大きさだとすると、人間の大きさは、地球の大きさぐらいになる。

 「私には、わからない。」と言い残して、博士は、それにやられてしまった。
 8月22日津川町よりR49で、新潟市まで60Km
津川町は、きつねの嫁入りが、シンボルだそうで、そのようなオブジェが町のあちこちに、あったり、きつねの嫁入り屋敷なるものが有る。 生まれも育ちも北海道なもんで、きつねなんて家の前にも出てくるくらい、しょっちゅう見ているせいで、その、狐の嫁入りといっても、どーもピントこない。
 8月23日新潟市よりR62で長岡市まで60Km
この辺は、田んぼ、田んぼ、田んぼ、ってなぐあいの風景の中を、行く。
 8月24日長岡市よりR17で、石打まで70Km
この日の昼飯はすごかった。国道沿いの、開いてんだかどーだかわからないような、一見ドーでもよさそうな、食堂に入る。壁に有る品書きの、「へぎそば一枚2000円」に目が止まる。

 それは、ぶっとい、田舎蕎麦が、あちょーとりゃーてな具合にかかってくる。油断して頼むと、やっつけられる。蕎麦湯も、香りの強い粘度の高い、酒の肴になるほどの、レベルの高さをもっている。なにごとも外見に惑わされてはいけない。
 8月25日石打よりR17で湯宿まで50Km
この日の宿は、旅と酒との歌人若山牧水ゆかりの宿。もったいなくも、ただ通過するような、泊まり方になってしまう。タイムスリップしたようにそのまま保存されている、牧水の間にて酒を飲む。ここは時間の流れ方が明らかに違う空間。
 8月26日湯宿よりR17で、前橋市まで50Km
途中、テレビ局の取材が、入り、そのカメラマンが、女の子だった。これならまわりも、多少のことには、目をつぶってくれそうだ。マラソンの先頭をでかい車で平行に走り、リアゲートを開けて後ろ向きに座りカメラを回して撮影してる。後ろに渋滞を従えて。
 8月27日前橋市よりR50で岩船町まで60Km
まわりの果樹園のなしをたべつつ、マラソン隊は、行く。
 8月28日岩舟町よりR50・R4で、宇都宮市まで50Km
R4は、トラック街道、交通量が、ものすごい、鉄筋の切れ端や、ながーいボルトなどの、道路におちているものも、面白い。
 8月29日宇都宮市よりR123で、笠間市まで、40Km、
伴走者の子供たちがが、大活躍してくれた。
 8月30日笠間市よりR50で、水戸市まで30Km
今日は全盲の方が、伴走して下さいました。白いたすきを、使って、心の目を繋ぐ走りを、見せてくれました。
 8月31日水戸市よりR9で、牛久市まで70Km、
コンビニのごみ箱に生きたまま子犬を捨てた馬鹿が、居たと言う話を聞かされつつ、その拾われて元気に育った犬の頭をなでる。すてる神あれば、ひろう神あり。ということなのか。
 9月1日牛久市よりR408・R50で、千葉市まで60Km
ついにこのへんで、稲刈りの作業が開始される。収穫の秋がやってきた。
 9月2日千葉市よりR14で、川口市まで30Km
都会に近づいている感じがするものの、街角にはいまだ、スーパーではなく、市場が健在で商店街の一角には、露天の新鮮あさりの量り売りをするおばちゃんの姿があった。
 9月3日川口市よりR17・R6で、所沢市まで40Km
このへんの道端の植え込みは、すべてスクエアーに刈り込まれていて、それがみょーに不自然に見えて面白い、どうやってこんなに見事に真四角刈り込んでいるんだろう?バカボンのおやじを、100にんくらい動員して一気にやっつけているんだろうか?
 9月4日所沢市よりR16・20で、大月市まで60Km
なにやらあちこちの神社や、商店街がにぎやかに飾られ始めた。

 神輿の一団とすれ違う、大渋滞を、巻き起こしつつ、おおいに盛りあがっている、不思議とこういう渋滞では、みんなピリピリしないで穏やかな気持ちで渋滞に参加している。ふだんも結果が、同じなら、無駄に苛立つのは、まったくの無駄。渋滞がいやならバイクに乗ろう。秋祭りのシーズン到来だ。

 9月5日大月市よりR20で、甲府市まで40Km
さすがに一山越えて甲府に入ると、一面の葡萄畑に圧倒される。給水ポイントで、巨砲の差し入れをいただき、ありがたく頂戴する。普段なにげに食べているひと房の葡萄も、実際に木になっているところを見ながら、それらを、食べると太陽と、土と、水が、こんなにうまいものを、作り出すとは、なんとも不思議な感じがする。
 9月6日甲府市よりR52R・20で、富士見町まで50Km
途中の白州では、国道沿いに有る、有名なウイスキー工場の蒸留機のオブジェの前を通過する。素通りだ、素通り。観光旅行じゃないんだよと、自分に言い聞かせつつ素通りする。せめてにおいぐらいしないかなと、鼻をひくつかせるも、白州の空気は限りなく透明だった。
 9月7日富士見町よりR20R19で、明科町まで60Km
距離を短縮するために、旧中山道を通る。15パーセントを、越える強烈な、勾配の洗礼を、受ける。昔の人は、こんな道で旅をしていたのかと思うと当時の苦労がしのばれる。・・・等と悠長なことは言ってられない。いま目前でその勾配を、ランナーは、駆け上がっているんだこの勾配を、歩ても辛い道を、どうか壊れずに最後まで完走してほしい。その距離6200Km、このへんでやっと3分の1の工程を走りきったあたりだ。
 9月8日明科町よりR19で、長野市まで52Km犀川(さい)沿いに長野に向かう52Km
谷間の美しい景色の中にいくつもの旧道の跡が刻まれている。険しい渓谷は、人を、よせつけない、ろくな道具も無い時代にここを拓いた人達はどんな技を使って、ここを行き来したんだろう?
 9月9日長野市よりR406R18で、新井市まで60Km
途中の小林一茶郷土館での蕎麦は久々のヒット。香りの立つ田舎蕎麦、10割蕎麦の大盛り400円なり。食べ終わってみんなで、即席俳人になり、一句詠む。「辛いかな・持ちつ、持たれつ・長い影」
 9月11日糸魚川市の休養日
今日も朝から機材を、がさがさやってから、夕方になって、町に探索に出かける。必要なものが、当たり前のように並ぶ古い商店街の中に、造り酒屋と、蕎麦屋と、銭湯が、三軒並んでいた。

 まだ明るいうちに銭湯ののれんをくぐり、隣の蕎麦屋で、これまた隣の地酒を、一杯やりつつ、蕎麦を食うという、夢のようなシュチェ−ションにより、心身ともにリフレッシュされる。
 9月10日新井市よりR18R8で、糸魚川市まで60Km
このルートはかつて上杉謙信が、武田信玄に塩や海産物を送った道。それらにまつわる史跡や、名物など、この街道は、にぎやかだ。途中お約束の信玄餅を食べて、きなこを喉にかけて、むせかえる。
 9月12日糸魚川市よりR8で、魚津市まで50Km
険しい海岸を、削るようにして造られたこの街道は、至る所に危険個所が点在する。大型トラックの数の多さにも参る。
 9月13日魚津市よりR8・県9で、小矢部市60Km
だれだ!名物に旨いものなし、などと言ったやつは、富山の「鱒の寿し」はんぱじゃない。朝昼晩三食これだけ食べてすごしても、一週間は、にこにこで、いられるだろうな、其のまま食べて良し、しょうゆをつけて良し、酒の肴にもう最高ー、これであーた、立山の純米なんて飲ろうもんなら、人生ふみあやまっちゃうよ。
 9月14日小矢部市よりR8で金沢市まで30Km
金沢といえば兼六園、1広大・2幽遂「ゆうすい」・3人力・4蒼古「そうこ」・5水泉・6眺望の、六勝を、兼備するという意味だそうだ。オイル交換の合間に5分間見るのに入園料300円払うかなしさか。
 9月15日金沢市よりR8で、丸岡町まで、60Km
丸岡城は、現存する天守閣のうちで、日本最古のものとのこと。宿の晩飯が、あたらずに、近くの寿司屋に入ったところ、店のおやじが、教えてくれた。
 9月16日丸岡町よりR8で、今庄町まで60Km
今庄は、昔から有る宿場町、人が、歩いて旅をした当時其のままの間隔で、町が軒を連ねる、バイクにとっては風情を感じる小道も、サポートのハイエースにとっては、非常にきびしー。
 9月17日今庄よりR8で、近江市まで60Km
今日は一山越えて琵琶湖まで走る。琵琶湖に沈む夕日は、まるで海のようだった。
 9月18日近江市よりR8で、大津市まで、60Km
同じ琵琶湖でも北と南では違う表情を、見せる。ここら辺は、都会の中の、硬くて冷たい感じに見えるのに対して、北のほうは、温かく柔らかい印象をうけた。それは、単なる気分の問題か、?それにしても排気ガスが、ものすごい。
 9月19日大津市の休養日
またもや機材関係の店開きから始まるも、深みにはまり、結局一日中ぬけられなくなる、今回は、通信機器系と、パソコンに完全にやっつけられた。参りました。降参です、かんべんしてください状態ですが、PCは、かんべんしてくれません。いつかきっと、この2台のパソコン地面にならべて、バイクで木っ端微塵になるまで踏み潰してやる!!
旅日記7月25日〜9月19日まで
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