6)地元の人々との交流について

 1)準備段階から一通りサポートさせてもらった立場から見て思うことは、そもそもこの企画の目的自体が、全国各地で励まし励まされつつ、人と人の和を作っていくことを目的としていて、そうして全国規模で盛り上がって 国や社会にたいして声を出して行きましょうということと理解しています。

 2)基本的には患者活動とはあまり繋がりの無いマラソンランナーの方々に協力いただいて、視覚的にわかりやすい「走る!」という頑張っている姿を通して「病気と戦う」患者・家族の方々の頑張る姿を重ねることにより、自然に社会的な注目を集めようというのが趣旨のように解釈しています。

 3)地元の患者会の方々との交流とマラソンランナーの会との交流の機会になり、マラソンランナーの方々が持っている、スポーツするもの共通の連帯感で全体を包み込むようにして、各地の患者会同士の交流を促進する形になってくれたならすばらしい事です。

 実際にはどうだったでしょうか?

 4)それぞれにマラソン隊通過の再にバックアップを頼んでいた経緯に微妙な違いが有りそれに派生する微妙な温度差の影響受けつつのマラソンとなりました。

 5)基本的には、日程的に非常に厳しく、「走る事意外振り向けられるいかなる余力もありません!」といった状況だったために、マラソン本隊ランナーの走るペースに全てを合わせてもらう事、 に終始しました。 ランナーが壊れてしまって走り続けられなってしまっては元も子もありません。

 6)地元の患者会さんなどの事前の協力要請の時点の話とは、かなり違った内容になっていたと思われ、各地で盛り上げるために、よかれと思って計画していただいた事や、 歓迎行事などの企画ものなどは、ことごとく、直前になって無理やりキャンセルさせる形になってしまい、 頭を下げてお願いしていただいた事を、撤回させてしまう格好になり、 それらがそこを通過する直前になって判明していくといった事の連続でした。

 6・1)全ての地域において、走る事以外のランナーの負担になる行事については、全てキャンセルして貰うように強く要請していて、全体のマラソンの成功の為、無理を我慢してもらっているという事情が有るために、格段の事情により無理を押さなければならない状況になっていった場合にも、一部地域のみ例外とする事は、全体の調和を保つ上で問題がある事から、小さくともその事実は伏せておく必要がありました。

 7)協力をお願いしていた患者会の方々にですら、正確な出発時間などの情報がうまく伝達せずに、見送りや、出迎えが、出来なかったといった事が多々ありました。  ましてや個人参加の伴走ランナーの方にいたっては連絡系統の不備により、多大なご迷惑をおかけする場面もみられました。
 

実際の現場を具体的に示すと
 7・1)仮に「県庁で11時より知事に面会」という日程で、走行距離は20Km、出発地点への車両での移動は無しで宿前からのスタートだったとします。  すると、実質平均走行速度「時速6Km」で計算して、3時間半の工程です、 絶対に遅れるわけにはいかないので、30分以上余裕を見て、宿を出発するのは、 午前7時という事になります。

 
 ところが、・・・宿に着いて明日の話になった時に、「事前に設定していたコースとは違うコース」を通ってほしいとなったとします。 そのルート上にある協賛企業のからみで、地元伴走ランナーの方達が集合する事になっていて、簡単なセレモニーと、患者さんの出迎えと、見送りをする事になっている・・

 7・2)と切り出されたとします。ほんの少ししか遠回りにならないので、影響は無いだろうと、いままであえて言わなかった、・・・といった事態が持ち上がったとします!  

  車では数分の回り道である3〜4kmの距離でも、走っていくと1時間前後はかかります。 7時であればぎりぎり朝食が食べられる時間ですが、6時出発では朝食は望めず、途中のコンビニで済ませる事になり、その時間も見ると、1時間以上早く出る必要があります。

 7・3)出発が一時間早まると、伴走ランナーの集合時間が変わります。  沿道で応援してくれる方々の予定の通過場所とその時刻が変わってしまいます。 通勤ラッシュの影響の受け方も変わってきて、通過タイムも変わってきます、 取材を受ける予定の時間も変わってきます。

打ち合わせが終わった夜の8時9時の時点から、
いったい何人の方々に変更の連絡をしなくてはならないでしょう?
全ての人の都合の良いようにする事は不可能です。苦しい決断をしつつ、そうして連絡のつかなかった人達を残して、マラソン隊は通過していきました。

 
 8)到着予定時刻に間に合わせる為に、無理をして早いペースで走らねばならない状況も多々出てきてしまい、その時の伴走ランナーの方達を振り切って走り去るような状況もおきてきてしまいました。せっかく一緒に伴走してくれようと待っていて合流したとたん、異常に早いペースで突っ走り、勢いおいてきぼりをくわせてしまうような心苦しい場面もありました。

 8・1)本来、各地の伴走ランナーの方々あっての企画なのに、それを振り切って走り去ってしまうとは、・・・伴走ライダーとして、ランナーへのルート指示は地元伴走ランナーに任せて、一般車両が突っ込んでこないように、マラソン隊列の最後尾を守っていたのですが、早いペースについていけない伴走ランナーを追い上げる形にならないように注意しながら、会話しつつの伴走をしていました。

 時間的に余裕のある時には、給水ポイントで、伴走参加者全員がそろってから、次にスタートしていましたが、余裕の無い時にはその限りではありませんでした。

 8・2)距離を消化するために早いペースで飛ばして走り、地元伴走ランナーの方々を、ちぎって走り、完走を断念させてしまう事もありました。そして、一日の終了点に到着するやいなや、記念撮影をして、直ちに解散といった状態でした。

 9)宿についてからの夕食など、交流する場は作れる可能性は多々あったんですが。  走り通すランナーにとって毎日の歓迎の宴、参加は不可能でした。  が、われわれサポートスタッフにはそのような役目もあったように思いました。

 9・1)地元伴走ランナーの方と、地元患者会の方との小さな打ち上げを繰り返して、交流を深めていくことが出来れば、今後に繋がったのでは?と思っていました。
 

公表出来ない事
 9・2)実は何回かはそのような交流会的な宴にも参加してはいたのですが、基本的に全て無理を言って断ってもらっている以上そこだけ特別であるといった印象を与えないために、公表出来ませんでした。 特にインターネットのようなリアルタイムな情報網に公表してしまうことはその後の通過県の動向に直接的な影響が出ることは必至なために言葉を飲み込むような場面も多々ありました。


 9・3)隣接する地域同士の交流をもっと盛んに盛り上げることが出来れば本来の目的に、より合致するはずではないでしょうか?・・・と思っていましたが、県境という言葉が国境という言葉に聞こえてくるような印象をうけました。

 9・4)隣接する地域ほど実は交流が少なかったりする現実を目の当たりにしていく旅でした。 そもそも、北海道という土地に生まれ育ったわれわれには、地域間の温度差というものに対する感覚が備わっていないのではないのかと思いました。

 9・5)実は知らなかっただけで、実際に顔を合せてみてから、交流が始まったといったケースもあるようです。

 10)連絡の行き違いなど、基本的には些細な事を発端とした事象によって、調子が悪くなってしまったケースもあったようですが、  もろもろの事情も汲んで一つ穏やかにまとめてもらえたらいいのですが、・・・

=== 6)地元の人々との交流について、 ===
7)道案内をどうするか
5)泊まる場所について
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