14) リハーサルその一
 事前に実際の走行を想定してのリハーサルを行なっていました。
 基本的に計画の立案から実行までの準備基間が一年間あるか無いかといった状態での企画進行ですから、いろいろと無理を押していました。 

 冬の間、卓上の話を繰り返して実行計画を練っていましたが、実際に経験の無い事、裏付けの無い事を、実際にそこを走る事になる「ランナー一人」の推測を元にしての「走れます」あるいは「それは困難です」という判断を、128日間一日一日確認しながらの走行計画進行でした。

 ランナーは基本的に泣き言を言いませんから、一日の走行距離がどんどん伸びて行き、一日80Kmを越える区間が出てきても「走ります」としか答えませんから、内心かなり心配していました。

 それは交通事情的に、本州の道を走る場合北海道の道を走る時のおおむね2〜3割多く時間がかかってしまうといった自分の経験上からくるものですが、自転車での経験はそのままあてはまるものではありませんのが、北海道の道路事情よりも悪くなる事はあっても、良くなることは無いと考えるのが自然です。

 早く実際にチームを組んで走行テストをしてみたいとの思いが強かったです。
 リハーサルが可能になるのは北海道の長い冬が開けて降り積もった雪が解け道路が顔を出す四月に入ってからの事です。
 スタートは7月と決まっていますので、
マラソンを実際に進めていく形を作るためのリハーサルに割ける時間的余裕は僅かしかありませんでした。
当初リハーサルは計画段階で4回行なう予定でした
 計画の実行が決まってから冬を越す間、ランナーはスポーツクラブに通って走り込み、トレーニングに励んでいました。計画が進むにつれ、当初の予定通りの走行ペースでは全て完走するのは難しいという現実が見え隠れするようになった頃から、地道にペースを上げるトレーニングを開始していました。

 スポーツクラブの開店と共にランニングを開始して閉店まで走り通すといった鬼のようなトレーニングを積んでいたといいます。「始めの頃は周りからは好奇の目で見られていた」との本人談がありました。春を迎えるあたりには、ある程度の目処がたつ状態にまで身体を作り上げていたようでした。

 身体一つで全て走り切ろうとしているわけですから、実際に計画通りの設定速度で走り通す事が可能なものなのかを、早い段階で確認しておきたい気持ちが強くあったように感じました。
 

雪解けを待ちきれずにリハーサル開始です。
 


 1)四月下旬に4日間の日程で行なう街中の走行を含むリハーサル

 2)五月中旬に4日間の日程で行なう山間部の走行を含むリハーサル

 3)六月下旬に2週間の日程で行なう連続長距離走行のリハーサル

 4)七月上旬に3日程度の日程で最終調整を行なう。・・・・日程の調整がつかずに没。

  
1)四月下旬に4日間の日程で行なった街中の走行を含むリハーサル について

 1.1)最初に行なわれたリハーサルは、ランナー一人に伴走バイクが付き、それを伴走車両でサポートするという当初考えられていた方法を試してみるという事と、雪で閉ざされていた冬の間、室内トレーニングに励んでいたランナーの走行ペースを計り、具体的な平均移動速度を算出して、実際の走行計画を煮詰め、県知事訪問の時間などのはずせない時間を決定し、各場所の出発時間、到着時間、を確定して、時刻表のような緻密な計画を練り上げる最終データをとる目的がありました。

 1.2)実際のマラソンのスタートは七月ですが、全国のマラソン実行委員(会患者会組織等)に各地域での県知事訪問の手配をしてもらうための具体的な通過時間を決定し、全日程を網羅した公式パンフレットを印刷して配布するためには、実は四月の段階でも既に遅いのですが、生身の人間が全て走って移動するという事ですから、具体的な移動時間のデータを無視して計画を進める訳にはいきませんでした。

 1.3)理想を唱えてはいられませんので、ある程度見切り発車的な計画を先に走らせる結果になっていましたが、それはこの段階では、マラソン実行本体自体が「何が何でも絶対に全ての距離を自力で走りきるんだ」と硬く決意していたランナーの意思の「一枚岩」では無かったという事が影響しています。
 ある程度の所で限界がきたら部分的な車両での移動も止む無しとの判断がありました。そうしないと身体が持たないだろうという計画内容になっていました。台風や自然災害等の、何らかのトラブルが発生してもそれを許容できる時間的余裕は全くありませんでした。

 もちろんランナーが走り切る事がすばらしいのですが、そのために無理をして身体が壊れてしまい計画そのものが失敗に終わるリスクを回避するほうが重要でした。目的は「日本中の患者・家族を励ます」という事です。玉砕して途中敗退せざるを得ない事態など誰も望んではいません。
 
 1.4)実際のリハーサルは一日目ランナーの自宅より出発して、札幌市内中心部を通過して国道5号線から国道274号線を経由して、郊外の馬追温泉まで40Km弱の行程、二日目はR234・道道10号・を経由して鵡川町まで60Km強の行程、三日目はR235・R36経由して恵庭市まで50Km強の行程四日目はR36号を札幌の難病センターまで30Km弱の行程です。
一日目 1999年4月13日(火)
 1.41)一日目ここでは札幌市内の中心部をあえて横切る形でコース採りをして混雑する街中での伴走を試して見ました。このとき札幌時計台のあたりの、すり抜けられない渋滞に阻まれたうえに一方通行の罠にはまってしまい、ホテルのトイレを借りに入って裏から出るといったランナーの行動に追尾出来ずに一時見失うといった一幕も有り、通常のバイクの機動性の限界を痛感させられました。

 路上駐車を含む身動きの取れない渋滞をかわすには、段差を乗り越えてバイクを降りて歩道上を押して歩行者になるといった技が最終手段であるという事が確認できました。
二日目 4月14日(水)
 1.42)二日目は郊外の国道を淡々と走りましたが、町を過ぎると突如歩道が無くなる。あるいは歩道取り付け方向が変わってしまうといった事の連続でした。交通量が多く道幅の狭い道路では、大型車同士がすれ違う時に路側を走る歩行者がタイミング良く絡むと、かなり危険な状態になるという事が判りました。
三日目 4月15日(木)
 1.43)三日目は北海道の大動脈的な主要国道で、人家も無いようなトラック街道の走行になりました。町と町を結ぶ人家がまるで無い区間というのは歩道も無ければそこを歩いている人の姿も有りません。

 通常、人が歩いている事の無い崩れそうな路肩をランナーが走っていると、連なって走るトラックの中には、まれに直前で気付いて慌ててハンドルを切る者も有り、加えてトラックの列にはまり込んでいる乗用車等が、車間を詰めて前のトラックに続いて漠然と走行していて、路肩のランナーに直前で気付いて慌ててハンドルを切ってかわすしていく、あるいは気付かずにすれすれを抜いていくといった状態が発生していました。

 1.431)この日はリハーサルにふさわしく、降ったり止んだりのはっきりしない雨模様でしたが、お陰で、すれすれを抜いていく大型車の巻き起こす泥しぶきによって、バイクのバックミラーは機能しなくなるという事がわかりました。給水の時毎に清拭しても再スタート後ほんの数百メートル走るうちに数台の大型車に負い抜かれた段階で、ミラーは泥しぶきに埋め尽くされて後ろが見えなくなります。

 それによって後方から接近する車両にひっ掛けられないようにと祈るだけしか策を打てない状態での恐怖の伴走になりました。勢い良く降る雨のほうが後方視界を妨げず、一番泥しぶきが上がる湿る程度の状態が一番厄介であるという事がわかりました。
四日目 4月16日(金)
 1.44)四日目はトラック街道から、札幌市内へと入る混雑した主要幹線道路の走行で、ススキのを通過したさいには、荷捌き路中上駐車の車をかわしつつ、広い歩道を他の歩行者に混じって走るランナーを見失わないようにするには、根本的に観察する視点を高くすることが一番有効であるとの結論を得ました。特にT字交差点など、信号によってランナーとの距離が開いてしまうと、低い視点からでは視界を遮る物に阻まれて一度見失うと発見するのが難しくなってしまいます。

 また、ランナーを見失わないように出来るだけ距離を開けずに伴走するためには、駐車車両を安全にかわすために、止まっている状態からでも一気に車の流れに乗れるぐらいの強い加速力が必要であるという事もわかりました。

 見失ったランナーを探す為には、バイクのステップに立ちあがって視点を高くして探すのがもっとの有効であるという事もわかりました。

 国道36号線は実際のマラソンのコースで使用するルートですが、通過するのは既に冬の事です。 
1.5)1回目リハーサル全体を通して
 1.51)走行ペースはことのほか速く、時速12Km程度の速度で走っていました。実際には伴走に使用したバイクの2速ギアで、アイドリングプラスアクセル開度2〜3mmといった感じです。
 バイクはV45マグナというVFR750(白バイ)と同じエンジンを持つ6速ミッションの俗に言うアメリカンタイプのバイクです。実質平均移動速度は時速9Kmを上回るものでしたので、このペースで行ければ計画は遂行出来ると一同喜んだものでした。

 1.52)走行速度と距離についてのインフォメーションをランナーは逐次要求しますが、バイクについているスピードメーターは時速20Km以下は表示されませんので、走行距離と経過時間からスピードを計算するしかありませんでした。競技用自転車に使用するサイクルコンピューターのバイクへの搭載を考える事にしました。

 1.53)始め30分おきにという給水指示は、20分おきになりました。内容は一般的なスポーツドリンクを一時間あたり300ml程度を飲み、他に持久系スポーツ飲料の効果を試すために粉末を水で解いて使っていました。外気温は低く、プラスの一桁台から日中も14〜5度程度といった環境で、風は期間を通して微風でした。
 ランナーは短パンTシャツにウインドブレーカーの上下を着て走り、温まったら上下の順で脱ぎ、寒くなったらまた切るという温度調節をしていました。給食はゼリー飲料なども用意していたもののほとんど使わず菓子類やチーズなどをつまんでいました。

 1.54)当時宿は決めずに走り、到着地点が判る夕方頃に車が先行して宿を探して決めていました。

 1.55)リハーサルに使用した車両は現マラソン号です、まだ特別な改造も無く、シートを倒したのみの荷室に荷物を積載してのサポートでした。
 
 計画の基本となるランナーの平均移動速度は「時速8Km」という事で、各県通過時間割を煮詰めてタイムスケジュールを確定し、各地のマラソン実行委員会に協力を依頼する事になります。 
 当初予定していた第1回目のリハーサルコースは冬季通行止で使えずに、急遽雪の少ない南の地域に向かって走る事になったものでした。
=== 14) リハーサルその一 ===
15)リハーサル其の二
13)サポート車両について
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