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昨夜はこの木に寄り添って一夜を明かしました。
 
 旅の野宿では周囲の気配を気にしながら、浅い眠りを繋ぐ一夜を過ごします。 それは眠っているような起きているような半々の転寝です。目を閉じて全身の力を抜いて休んでいても、耳や感覚は周囲を探っていて物音や気配を察知します。・・・

 それは何らかの敵に対する警戒心が熟睡を許さないようです。都会の片隅で一夜を明かす時の警戒の対象は人間です。それはかつて学生時代に自転車で日本縦断の旅をした時に、沖縄へ向かうフェリーの中で寝ている隙にお金を盗られた事がありました。そういった事が警戒心を強くする根底にあるように思います。

 自然界では馬が草原で立ったまま転寝をしたり、蝦夷鹿が仲間達と見張りの陣地を組んで転寝したり、クマゲラが脱出口付きの巣穴を作っていつでも逃げられる体勢で休んだりと、襲われるかもしれないという警戒心を保って眠るのは、普通に見られます。

 しかし人間界では普通そんな事はありません。例外的にあるとすれば北海道の山岳地帯で特に油っこい羆の庭で1人で眠る時には、他の野生動物と同じように、自分が襲われる可能性を感じる一夜を過ごします。過去の凄惨な羆事件を思い出しながらのクマ撃退唐辛子スプレーを握り締めて眠ります。

 それでも、ここに悪い熊はいない、とか、こんな綺麗な星空の夜は山の神も機嫌がいいはずだ、などと、根拠に乏しい開き直りのような心理が働いて、説明できない山の安心感につつまれて熟睡してしまいます。
 
何処で眠るか?
 もし一夜を明かすとしたらどんな場所にするのか?

 これは登山する時に森の中を歩きながら周りの木々や地形をみて考える事です。大きな木々が重なる根元の空間などを見つけると、中を覗き込んで、シートを被せたら快適な寝床になるな〜 とか考えながら山歩きを楽しみます。それは遠い昔子供の頃に森に秘密基地を作って遊んだ気持ちの延長です。

 普段バイクに乗っている時も、天気の急変に備えて雨宿り出来そうな場所を無意識のうちに探しています。路肩の大きな庇や屋根付き駐車場や高速道路の高架下などの緊急避難できそうな場所をチェックして、見つけたら記憶にとどめておきます。

 その延長として一夜を明かせそうな場所を探します。

 夜露を凌ぐだけと考えたら公園の東屋あたりが適しています。しかし天候によりますが、大きな木に寄り添って眠るととても気持ちがとても休まります。

 昼間に大きな木に近づいて見上げると、存在感というか威圧感を感じる大木があります。夜にはその感覚が増幅されます。しかし中には威圧感や怖さとは反対の親しみや安心感を感じる大木もあります。

 豊かな大木の梢は小鳥達の塒(ねぐら)です。小鳥と共に同じ木で一夜を越す事にある種の連帯感のような気持ちが安心感につながっているのか?あるいは長い歳月生きてきた生命力への畏敬の気持ちから寄り添うことが安心感に繋がっているのか?

 分析しても定かではありませんが、この木は特にやさしい安心感に包まれる不思議な木でした。

野宿の掟
 「暗くなったら密かに寝て明るくなったら即撤収」

1)周囲に気付かれない、・・・余計なトラブルを防ぐ
2)火を使わない、タバコも吸わない、・・・火事を出す危険を零にする。
3)酒を飲まない・・・いつでも退去できるように
4)痕跡を残さない、・・・ゴミを出さないのは当たり前痕跡も消し去る
5)理由に因らず何かあれば即退去、・・・余計なトラブルを防ぐ
以上 
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