がんばれ難病患者日本一周激励マラソン10周年記念 完全完走 笹谷峠越え_ 11) |
早速連絡をとって山形市内で合流しました。適当に野宿しようと思っていましたが、澤本さんが予約していた宿に急遽エキストラベットを入れてもらって同宿する事にしました。 宿で荷物を解いてから晩御飯を食べに繁華街を探索しました。よさげな蕎麦屋に入り、へギ蕎麦を食べました。澤本さんに地酒を勧められましたが、禁酒している人を目の前に一人で飲むのも気が引けて発注しませんでした。 早めに切り上げて宿に戻って明日の打ち合わせをしました。 「計画は中止だけど、澤本さんは一人で行って走るようだ」という内容のFAXを各県で協力してくださる方々に流しているので、最終アナウンスをした時間で走ってもらいたいという伊藤さんのタイムスケジュールを確認すると、朝はゆっくりスタートになりそうです。 マラソン当事は、宿の晩御飯に間に合わない遅い時間に到着して、朝ごはんが用意出来ない早すぎる時間に出発する。そんな事を日々繰り返していました。 夜に明日の出発時刻と県庁到着予定時刻の確認、伴走者の待ち合わせ確認など事務的にミーティングを行い、ゆっくり話をするような隙間はありませんでした。 そんな事を懐かしむように一歩一歩ゆっくりと話をしました。 小さな丸テーブルの上には記憶の断片が溢れ、二人はそれを繋ぎ合わせるように日本一周の旅をしました。同じ光景を見て、同じ風に吹かれ、同じ雨に打たれて日本一周してきたものだった。 そんな当たり前の事に今、気が付いた。128日間6400km走った後に10年の歳月経て、今気がつくとはどういう事か?そんなペースじゃ何百年あったって人生は足りはしない。 気が付くと既に夜半を周っていた。我に返りあわてて消灯。 |
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