2011年1月1日宗谷岬の初日の出 |
おばけが出た |
年が明けて初詣を済ませた頃、風に吹かれてすっかり体が冷えてテントに帰った。ガスストーブを点けてテントを温め、三岳のお湯割を一杯飲って寝袋に潜り込んだ。呼吸口を残して頭も目鼻までスッポリ寝袋に包まって眠りに着く、羽毛の温もりが心地よく、いつしか暴風にはためきバリバリ叩き鳴らされるテントが、心地よい子守唄になって眠りに落ちていた。 |
・・・まどろみの中、暴風の彼方で誰かに呼ばれているような気配に気がついた。
しかし辺りはまだ真っ暗で誰もいるはずが無い。それでもなんとなく気配がする。 何だろう?寝起きの頭で他人事のように考えを廻らせていた。
・・・もしあるとすればここは大韓航空機撃墜事件の犠牲者の魂の拠り所だ、夕べも一人で冥福を祈って酒を飲んでいた。それでテントに来たのかも?
完全に目が覚めた。小さく開けている呼吸口から、口元の皮膚で感じる風がなんとなく激しい気がする、しかし、いかに暴風の中にあってもテントの中に風が吹く訳が無い。でも身体は確実に異常を感じている。耳を澄ますと暗闇の暴風に自分を呼ぶ声が混じっている気がする。
まさかと思いながらも、ついに未知との遭遇の時が来たか。・・・目も耳も鼻もすっぽりと寝袋に包まれて、僅かに開いた口元の皮膚感覚に全神経を集中して、両手を体側に着けた「きおつけ」の姿勢のまま仰向けに硬直していた。
次の瞬間、何かに足首を掴まれた。
「あ゛~っ」暴風に負けない声を張り上げて飛び起きた。口元を両手で広げて顔を出して足元を見た。暗闇の中でおぼろげに見えたのは、テントの入り口から吹き込む暴風を背にした人影だった。
そのシルエットは言った。
「すみません、この暴風で花火を打ち上げる場所をこの丘の上に変更しました。打ち上げ時は半径30mは立ち入り禁止になります。6時15分から打ち上げるのでその前に退避してください・・・」
なんだ、そいうい事か、
と、ほっとするのもつかの間、テントは風をはらみポールが悲鳴にも似たキシミ音を上げている。早くジッパーを閉めないとテントが壊れてしまう! テントにはその構造上風に強い向きと弱い向きがある。このテントの場合は前室方向からの風に最大の強度を発揮する。それで前室を風上の岬側にして設営して、風下側から出入りしているものだ。
ところが、暴風に耐えているテントの風上真正面から入り口ジッパーを全開するという一番やってはいけない事をシルエットの主はやってくれていた。
時間を確認してすぐさま退去を了解して、ジッパーを閉めにかかる。 ところが上半身だけ寝袋から出た状態では素早い行動などままらない。匍匐(ほふく)前進で前室に辿り着き、暴風に叩かれながらテント生地を破かないように、ジッパーを壊さないように生地を引っ張り合わせながら慎重にジッパーを閉めていく。 しかし風圧が強く、なかなか閉める事が出来ない。
そうこうしているうちに通気性の良いフリースを突き通して冷たい暴風が身体を急速冷却していく。 ようやくジッパーを閉め切り、留め金のホックを嵌めた時には身体はすっかり冷え切ってしまった。
退去時間まで1時間以上あるので、再び寝袋に包まって体温の回復をした。 「おばけじゃなくて良かった」 それでも足を掴まれた「いやな感触」がしばらく残っていた。 |
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