トレーラーに轢かれたバイクの残骸
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救命救急病院に入院
*以下入院日記の抜粋
*事故当日 6月1日(水)
遠くで声が聞こえる・・・ 首にカラーをかけるように指示を出している。気がつくと草むらに横たわっていた。バイクに積んでいたダッフルバッグを枕にしている。迷彩服の人達が慌ただしく動いている。幌のトラックが見える。何がどうなっているのか分からない。おぼろげな意識の中で命の危険が迫っている事を感じる。
救急車のサイレンが近づいてくる。あなたの名前は?、住所は?、単独で走っていたのですか?、痛い所は何処ですか?、など救急隊員の質問をうける。頭のチェックを兼ねていると感じ一つ一つ慎重に答える。ウエストバッグの中に免許書入れがある事を伝えて取り出してもらう。思考が蘇り眠ってはまずいと思い意識を保ち続ける。
救急隊員から状況を説明されヘリ搬送をする事を告知される。「お願いします」と身を委ねるのみ。ストレッチャーに乗せられる。固定バンドが痛い。ランデブーポイントは大滝道の駅、救急車は動き出してすぐに大きくターンをした。
すぐに道の駅大滝に到着、後部扉が開くとローターの回転音が激しく聞こえヘリの存在を感じた。救急隊からドクターヘリNドクターに引き継がれる。ヘリに積まれる時回転するローターと白い尻尾が見えた。
ヘリの中は狭くストレッチャーの固定を済ますとガスタービンエンジンの金属音が響きわたり発進、すごい加速で札幌に向かった。すぐに着くからがんばりなさいとNDr。安堵感から眠りそうになるも必死に耐える。
あっという間に札幌に到着、着陸直前にまた少し救急車に乗りますと告げられる。そのまま病院に運び込まれるのでは無いのか?もはや状態がダメでトリアージされてしまうのかも?と不安になるも怖くて聞けず。しかし車に乗って1分もたたないうちに救命救急病棟入口から病院に運び込まれる。後にこれは増築を重ねた病院の構造上のしくみであるとわかる。
全身のCTとレントゲン撮影を行い数名のドクターが骨盤の粉砕骨折、右大腿骨の粉砕骨折、右下腿骨の解放骨折、右手首の座屈骨折、等々被害状況を説明してくれる。骨盤の骨折に伴う動脈損傷による内部出血を止めるために緊急で血管造影カテーテル止血手術を行う旨告げられる。
ばたばたしてるうちに手首の骨折部位は手動で整復シイネ固定、左まぶたの裂傷を縫合、いずれも即施術の早業。手首の骨折は一瞬の激痛後治ってしまったかのように無痛になった。
薄暗い手術室に心電モニター音が時を刻んでいく。次々と輸血を行いながらの血管造影手術が続く、造影剤を流す時はその都度事前に痛みが出る事を教えてくれる。骨盤内に灼熱感を伴う激痛が走る。
NsがとDrに先々の輸血指示を仰いでいる。時間が経つのが長く感じる。造影剤を流す痛みは相当強いもかまわずどんどんやってほしいと願う
気持ちに余裕がある事を伝えようと手術を行っている先生に後ろから話しかけた。網目状のステントを使って止血するのですか?と質問した所、ステントでは無くスプリングのような形と教えてくれた。
止血が決まるとDrはほっとしたような表情で今後の処置について話してくれた。
骨盤の創外固定手術を受けるため大きな明るい手術室に移動する。多数のスタッフがそれぞれに準備をしている。あわただしい中でも丁寧に施術の説明をしてくれる。有り難く同意して身を委ねる。笑気ガスを吸わされる段になり緊張から解放され溶けるように眠りに落ちた。(実際には笑気ガスは使われておらず麻酔薬注射)
「終わりましたよ」と目を覚ますととても爽やかな心地で手術が終わっていた。洞爺湖畔をバイクで走っている夢を見ていた。水面がきらきら輝いている遥か上空では黒っぽい雲が覆い人の声がして騒がしい感じがする。すれ違うバイクとピースサインを交わしたり道の駅によってイチゴを買ったりしていた。
Drに創外固定を行った事を説明される。足の骨折については腫れが行くまで牽引して様子を見ると説明を受けて救急救命病棟に入院となる。
病室には家族が来ていた。免許書入れの緊急連絡カードを指してバイクの保険会社への連絡を御願いする。
夜最後の輸血の時、身体が拒絶するような反応をみせた、全身が熱くなり神経が逆立ち気持ち悪くなった。それまでの輸血とは全く違う感じで早く終わらないかと願うのみ、輸血が終わると静かに眠れた。
*入院2日目 6月2日(木)
朝から爽やかで食欲があり、おかゆの食事を完食する。
CCU I08号室(個室)に入院していた。周囲には各種センサー類モニター類多数近代的な設備
腹部に骨盤の創外固定器具がついており仰向けに寝たまま右足の8kg牽引を行いベッドに固定されている。右足は酷く腫れて痛み動かすと激痛が走る、右手はシイネ固定、左まぶたが腫れて見えずらい
サングラスの淵に沿って切れている。目は守られた。
Nsから「ここはどこですか?」という質問をされる。病院の名称を教えてもらう。事故後の記憶を克明に話すと普通はあまり覚えてないものらしい
事故の瞬間とその前後の記憶が飛んでいる。
*入院3日目 6月3日(金)
朝から食欲無し、ウイダーゼリーを三食食べる。
I08号室からI10号室(窓がある部屋)に部屋を移る。
事故がテレビのニュースで流れた為知り合いが多数見舞いに訪れる。しかし具合悪くてあまり話せず。トレーラーと衝突して意識不明の重体で病院に運ばれたという事らしい。無残に潰れたバイクの映像を見て駆けつけてきた皆は一応に「生きてて良かった〜」
*入院4日目 6月4日(土)
朝から頭痛く吐き気有、朝食は手が出ず、代わりにバナナを一本食べる
相変わらず右足は酷く腫れれたまま、動かすと激痛が走る、右手はシイネ固定、女医さん軍団が右足のシーネ固定をし直してくれた、かなり楽になる。
夕食時 18時 激しい頭痛と吐き気で、吐く、朝食べたバナナがそのまま出る。身体が食べ物を拒絶するように激しい嘔吐を繰り返す。以後ゲボゲボの日々が始まる。
病室にテレビがつく。夜テレビで映画ターミネーターを少し見るも調子が良くなくすぐ止める。以後テレビは見ない事に
*入院5日目 6月5日(日)
朝からゲボゲボ、一日中頭痛にめまいゲボゲボ。
胃の中身は既に吐き尽くし何も残っていないのにかかわらず激しい嘔吐反応が続く、ゲボの膿盆を抱えたまま胃の強烈な収縮反応で呼吸困難に陥ったまま収まるまで耐えるのみ。
稚内からバイク仲間が見舞いにきてくれるも頭痛でまともに話が出来ない。生かされた事に感謝の涙があふれた。
涙を流すと目の調子が良くなるようだ、見え方がはっきりする。
*入院6日目 6月6日(月)
朝からゲボゲボ、一日中頭痛にめまいゲボゲボ
嘔吐反応が激しさを増してくる。呼吸困難にならない為に吐く為に水を飲むようになる。腹筋が痛い。
点滴で栄養を取る日々が始まる
*入院7日目 6月7日(火)
激しい嘔吐反応、ゲボの膿盆を抱えて耐えるも収まらない、粘度の高い胃液が気管に逆流していよいよ進退窮まるもナースコール押せず、もがくうち足指に付けられたセンサーが引きちぎれて警報が鳴りゲボの海から助けられる。窒息の恐怖を覚える
理学療法士 NPt 記憶テスト 100マイナス9=91 マイナス7=84 マイナス7=77 ねこ さくら 電車 等
今の気持ちを文章にしてと言われて あたまいたいゲボでそう と書く
手術の同意書を左手で書く
ゲボに溺れる誕生日。生きててよかった
*入院8日目 6月8日(水)
朝からゲボゲボ、一日中頭痛にめまいゲボゲボ 頭痛少し回復も食欲無し
救急救命病棟「I 10」から整形外科病棟「1013」に移動する。窓からドクターヘリの発着が見える。死の淵から救い出してくれたヘリ様、飛び去る姿が神々しい
手術が10日に決定する
*入院9日目 6月9日(木)
一日中頭痛にめまいでゲボゲボを恐れて食欲全く無し 手術に備えてウイダーゼリーを三食食べて凌ぐ
点滴で栄養も続ける
血液の値が良くない
*入院10日目 6月10日(金)
朝9時手術室入室 終了は午後7時 大腿骨粉砕骨折修復術 下腿骨解放骨折修復術 手首関節座屈骨折修復術 をそれぞれ受ける 手術そのものの実質合計時間は約7時間との事 それぞれレントゲンを見せてもらい説明を受ける。
笑気ガスで眠りに落ちるのは格別な心地よさがある。目覚めると右手首と腹の上に創外固定器具が取り付けられている。巨大なカブトムシを乗せている感じ。(実際には笑気ガスは使われておらず麻酔薬注射)
夜見回りの看護師さんが来る度に備え付けの冷蔵庫からウイダーゼリーを出してもらって押し込むように食べる。朝までに6個全部食べた。食べなきゃ治らない。吐いてでも食べる。
*入院11日目 6月11日(土)
頭痛ゲボゲボを恐れてウイダーゼリーだけ食べて静かに過ごす。
入院生活の基本スケジュール
6時 起床
8時 朝食
12時 昼食
18時 夕食
22時 消灯
*入院12日目 6月12日(日)
食事の前にウイダーゼリーを食べて吐き気を抑える作戦で食事を食べ始める。
頭痛を避ける為極力動かないように安静に過ごす。
月曜日から車いすに乗る訓練をしていいとMDr
*入院13日目 6月13日(月) 担当看護師 日TmNs 夜NeNs
頭痛、食事の前にウイダーゼリーを食べて吐き気を抑える作戦で食事を食べる。どうしても食事がとれない時にはウイダーだけでも食べる
日中車いすに乗ろうとするも問題発生で断念、明日別の車いすを用意してもらう事に
この病院では入院期間中の患者一人一人にそれぞれ正担当看護師が一人と、その日の勤務メンバーの中での担当者を一名決めて管理の分担をしているようだ。担当は朝と晩の業務引き継ぎ後にそれぞれ受け持ちの患者の元に挨拶にきてくれる。それは患者の容態や処置の有無等様々な要因を考えて決めているようで事故防止の観点から患者識別が徹底されている。患者側からすると白衣の天使は見た目で同じに見えてしまうので、なにか頼み事をする時に名前では無く「看護師さん」と一括りに呼んでしまう傾向がある。しかしそれではいかんという事で「看護され日誌」をつけて名前を覚える事にする。
今の状態はベッドの上から一歩も動けない。食事から排泄まで全て誰かにやってもらわねば一ミリも生きて行けない。それは誰かではなく一人ひとりの「OOさん」にお願いして糞を垂れた尻を拭いてもらって生きている。
*入院14日目 6月14日(火) 担当看護師 日TmNs 夜TkNs
頭痛ゲボ防止ウイダー作戦継続
左目の瞳孔が開いたままの状態は続いているも経過観察、担当Nsが朝晩瞳孔の直径をゲージを当てて計る。看護師さんと30cmの至近距離で目と目を見つめ合う時間。「なまらかわいい〜」心の叫びをを押し殺す。これを楽しみにすべての痛みに耐える
日中BBNsとNPtに付き添われ車椅子に乗り込み成功する。骨盤が割れている為足を床に着けて加重する事が絶対禁止+右手首骨折で使えるのは左手一本のみ。ごつい男性看護師+でかい男性理学療法師ペアに抱えられるように車いすに移りトイレで用を足す事に成功する。男手は頼りになる。しかしまだ尻を自分で拭く事が出来ず、TmNsさんに拭いてもらう。TmNsは母もNsで子供の頃からそれが当然のようにNsになったという天使のようなひと
創外固定などで両足に加重を掛けられない患者は床に足をつく事が出来ない。それはトイレを使用する時の大きな障害となる。この病棟には両足を伸ばした状態で固定された改造車いすで真正面から便座に乗り移る事が出来るトイレが一基ある、それを突撃型トイレと呼んで愛用する。古い設備ながら
工夫の余地
があり使い勝手が良い。
夜かつての事故でお世話になった先生より電話有、渓仁会手稲病院に入院中と伝えると娘さんが務めている事が判明する。なんと自分の担当になる。親子二代にわたって施術を受ける事に、アンパンマンに登場するドキンちゃん似、日々の楽しみが増える
抗生剤の点滴が終わるも血液の値が悪く炎症反応も出ているようで飲み薬を始める
*入院15日目 6月15日(水) 担当看護師 日TmNs 夜BBNs
ゲボ防止ウイダー作戦継続
看護師さん二人がかりで車いすに乗り移りトイレに連れていってもらう事が可能になる。しかし自分で尻が拭けない上にオムツの着脱も出来ない状態。
ベッド上おまる生活からの卒業、導尿カテーテルを抜いて尿瓶生活が始まる。尿のコントロールが困難、オムツに尿取りパッドを併用する。尿に大きな血の固まりが混ざる。尿そのものも赤い。衝撃を受けるも開き直って特に騒がず。
この病院のナースコールはインターホンになっており受話器を取ってコールし直接用件を伝えるシステム。ベッド上で仰向けに寝たきりなので何から何まで全て世話をしてもらわなければならず忍びない。自力で出来そうな事は考えて時間をかけて挑戦してみる。すぐに左手で箸を使い食事が出来るようになる。
しかし排泄はお願いするしかない。尿瓶は容量800mL満タンになってから処理をお願いする事で二回分を一回で済ませる。排便は午後1時30分以降に看護師さんの昼食交代が終わったタイミングを見計らって「魚雷一号発射準備完了しました」とナースコールして突撃型トイレに連れていってもらう。
日中病棟の栄養士のHさんが、いつも食事トレーにウイダーの殻が乗っているのを不審に思いなぜか?と部屋に訪ねてきた。ゲボ防止作戦として使っている旨説明して笑いながら納得してもらう。決して食事がマズイとかの抗議ではないのです(笑)〜
*入院16日目 6月16日(木) 担当看護師 日OaNs 夜TmNs
ゲボ防止ウイダー作戦継続
初シャワーを浴びる、OaさんとUさんに入れてもらう。ベッドサイドに耐水仕様ストレッチャーを横付けして、身体をスライドさせて乗り移る。ストレッッチャーごと浴室に入りまな板のコイ状態で二人がかりで全身洗ってもらう。お湯を浴びる感覚があまりに気持ち良く感動するも笑われる。風呂上り部屋に戻ると山の大先輩がお見舞いにきてくれていた。何度も死にかけては復活している人だ安心して心の内を吐露する。たまたま部屋のワックスかけに当たり部屋の中で扇風機の風にされされるもかまわず。
夜寒気がして高熱になり夜39.3度まで体温が上がり、ボルダレン座薬を刺して解熱する。深夜発熱のエネルギーを補う為にウイダーを二つ飲む
手術後血液の値が良く無く、体温も高い状態が続いており、通常の朝昼晩の三回の検温と平行して自分で日に10回以上体温を記録して推移を見てきた。そのデータ上今回の高温もじきに下がるものと思い解熱剤を使いましょうというTmNsの進言を拒んでいた。しかし夜中に39度を超える状態にまで悪化し結局強い薬を使う事に、それは早い段階なら弱い薬で様子をみて悪化を防ぐチャンスを自ら潰した結果だった。反省しきりで生意気言った詫びをいれてもTmNsは謙虚な姿勢のままだった。いかん、このままでは目と目を見つめ合う瞬間、瞳がハート型になっているのがばれてしまう
*入院17日目 6月17日(金) 担当看護師 日NeNs 夜KyNs
ゲボ防止ウイダー作戦継続、昨夜の発熱により慎重になる。吐き気で食事がとれない分ウイダーでカロリーを補う
整形外科看護師長Wさんが挨拶にみえる。この病院は特殊な病院であるとの話を伺う。担当看護師欄が空白なのを見て、あとで確認しますとの事
夜、KyNsの一人介助で車いすの乗り降りが出来た。まず段取りを説明してから1トライで成功した。KyNsは洞察力に優れ機転がきく。モンキーバー(ベッドの頭上に取り付けた掴まる為のフレーム)の使い方が分かってきた。
19時過ぎCDrが手首のレントゲン写真のコピーをもってきてくれて説明して下さる。創外固定のボルトが突き刺さった見た目と裏腹に全く痛みが無いのが不思議
*入院18日目 6月18日(土) 担当看護師 日TkNs 夜NeNs
ゲボ防止ウイダー作戦継続
手のOT作業療法開始。密かに心も癒される時間
多数のお見舞い、意識不明の重体という夜のニュースを見た事でその夜はいろいろ考えて眠れなかったという、心配をかけて申し訳ない。
退院してから有難くいただきます
夜発熱するもMAX38.0度で薬使わずセーフ 多量の水分摂取が良かったものと思われ
*入院19日目 6月19日(日) 担当看護師 日0aNs 夜BBNs
ゲボ防止ウイダー作戦継続
頭痛を避ける為極安静に過ごすも手術から一週間以上経ち少しづつ安静を解除する。
助手のUさんに専属ヘアメークになってもらう。クリスティーナアギレラが好きという
お任せでお願いしているとアレンジが面白い。これは「編み込み」と「お団子」
*入院20日目 6月20日(月) 担当看護師 日KyNs 夜OaNs
レントゲン撮影を受ける。レントゲン台に移る時に尻が痛くて苦労する
骨盤の創外固定のボルト穴が膿んで黄色い汁が出て痛む。経口抗生剤始まる
*入院21日目 6月21日(火) 担当看護師 日NeNs 夜IyNs
血液検査の値が悪いので内臓エコー検査を受ける。内蔵に異常無し
骨盤の創外固定のボルト穴にピンセットと鋏を突っ込み膿を切り出し、注射針を奥まで刺し入れて生理食塩水で洗浄する。なまら痛てて
*入院22日目 6月22日(水) 担当看護師 日NeNs 夜TmNs
頭痛ゲボゲボの恐れが遠ざかる。ゲボ防止ウイダー作戦を終了する。
頭痛を避ける為の安静を解除する。
左目の瞳孔は徐々に改善されてくるも日々経過観察。NeNsコンタクトレンズが合わずに涙目になっていた。涙目同士で見つめ合う
骨盤の創外固定のボルト穴を生理食塩水で洗浄する。経口抗生剤続く
*入院23日目 6月23日(木) 担当看護師 日BBNs 夜SkNs
頭痛ゲボゲボになるの恐れが遠ざかる。
頭痛は遠い過去の出来事のようにその辛さも思い出せなくなっていた
*入院24日目 6月24日(金) 担当看護師 日OaNs 夜KyNs
ヘリ様ヘリ様と騒いでいたら、バイク仲間がヘリ様のミチュアを差し入れてくれた。これは川崎がライセンス生産をしているタイプ
KyNsこの日の勤務で退職になると帰り際告げられる。KyNsは機転の効く人で、初めて一人介助で車いすに乗れたのはこの人のお陰だ、導尿カテーテルを抜いて間もない頃尿意のコントロールが利かず、トイレで便座に乗り移り、おむつを外してもらった瞬間に上に向けて大噴水した事があった。その時「あ〜あああっ」と咄嗟に手で押さえ込んで飛び散るのを防いでくれた。まるで赤ん坊のおむつ交換だねと二人で大笑いしたものだった。そんな数々の思い出が脳裏をよぎり涙があふれてきた。どうかお元気で、ありがとう
*入院25日目 6月25日(土) 担当看護師 日NeNs 夜TkNs
尿瓶一回の使用で800ML達成。尿意の制御がほぼ完全に戻る。
バイク仲間がヘリ様を調べ上げ「EC-135」という型式であることを突き止め、プラモデルを手配してくれる。
NeNs20時30分まで残業、帰り際様子を見に来てくれる。勤務時間が長すぎない?と聞いてみると「この病棟二年目の試練なんです」との事
*入院26日目 6月26日(日) 担当看護師 日MsNs 夜IyNs
血液検査の結果が悪く継続的に経過観察が必要
初めて担当する新人MsNs 先生役のOaNsの付き添いを求めながら作業してくれる姿がほほえましい
*入院27日目 6月27日(月) 担当看護師 日BBNs 夜NeNs
バイク仲間にお願いして登山用品より登攀用具を買ってきてもらう。ベッド上のモンキーバーをベースに滑車とロープを使って 関節曲げ曲げシステムを組んで自主リハビリを開始する。
*入院28日目 6月28日(火) 担当看護師 日UmNs 夜TkNs
21時半頃 お腹の具合が怪しくなりトイレに連れて行ってもらうも創外固定患者用の改造トイレが使用中。そこで別のトイレを見てみる事に、それは便座の左右に手すりと可動式アームが設置されたトイレだった。骨盤骨折の創外固定患者は両足共床に付けて体重をかける事が絶対禁止だ、ちょうど担当がごつい男性看護師さんだったので、これはいけるかもしれない、という判断でチャレンジして見事成功!そのトイレは温水洗浄便座様が装備されている。
それまでは看護師さんに尻を拭いて貰っていた。自分の尻を自分で拭けない辛さがあった。
ウオシュレットは神様のトイレだね、とつぶやいたら、ん?それどこかで聞いたような?去年「トイレの神様」って歌が流行ったよね、トイレに女神様がいて、まじめに掃除するとべっぴんさんになれるって歌、そうじゃなくて俺、温水洗浄便座様が神様に思えてさ、これからはウオシュレットを神様のトイレと呼ばせてもらうよ。トイレに笑い声が響いた。
今日担当のTkNsは病院の託児所に小さな子を預けて仕事をしている事がわかる。バイク仲間がシャレで置いて行ったブルドーザーのミニカーをあげる
*入院29日目 6月29日(水) 担当看護師 日OaNs 夜TmNs
温水便座トイレの使用には無加重ながら足を床に着ける状態があり、また転倒のリスクも有るので使用は却下される。仕方ない安全第一
*入院30日目 6月30日(木) 担当看護師 日MsNs 夜SkNs
リハビリ膝角度85度 大腿骨粉砕骨折によりモモの筋肉組織を巻き込んで癒着が起きており、膝を曲げると癒着部位が引っ張られて痛い、しかしそれらを引きちぎって曲げていくしか道は無く、それら癒着を抵抗勢力と呼んで徹底してやっつけにかかる。リハビリ室に声ともつかない呻きが響く
5Fの入院患者さんよりドクターヘリの絵を頂く、バイクの残骸の写真と共に額に入れて病室に飾る。
満天の星 凍りても 生きており
霧立つや 昨日を拒む 今朝があり
文章はパクリだけどな〜(笑)と謙虚な方にヘリ様の絵を頂いた。落としても壊れない額に入れてずっと大切にします。
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97)元旦宗谷岬ツーリング2012_2)↑
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