旅日記10月21日〜11月20まで
抜粋なしの原文です
 10月21日都城市から宮崎市までR269号42Km
毎日びっしりバイクに乗っている生活が続くと一日でも乗らない日があると、次ぎに乗るときはずいぶんと、久しぶりに乗るような気がする、特に今日は、バイクの加速が、肩にしみる。アフリカツインは、ほぼ完璧にその操縦性を取り戻していた、さすがプロの仕事、ありがとうございました。
 10月22日宮崎市から日向市までR10号60Km
九州に帰ってきても、ここらへんに普通にある街路樹のパームツリーを見ると、気分は沖縄に飛んでいる、いつかバイクで旅してみたい。
 10月23日日向市から直川村までR10号63Km
昼にコンビニで買い物をすると、そこには地元の特産焼酎コーナーがあった、焼酎にもいろんな種類があるもんだ、所変われば品変わるで、ここいらの居酒屋で、酒と頼むと、焼酎のお湯割が出てくる。
 10月24日直川村から臼杵市までR217号55Km
ここら辺は、自然が濃く、車も少なく空気が美味い、でかいお寺の切り立った石垣におばちゃんが張り付いている、高さは7〜8mは、あるだろうか?草むしりをしていると言う、なめらかな3点支持で、体重移動しながら上下左右に動き回る、山登りのフリークライミングの大会に出したら、けっこういいとこいくんじゃなかろうか?

 10月25日臼杵市から大分市経由でフェリーで、松山市までR217号56Km
九州から四国に渡る三回目のフェリーに乗る、夕暮れ時の船出は情緒がある、沈み行く夕日を背に船は進む、正面からは月が昇る、いよいよ四国上陸、車両甲板の先頭部分にはバイクが5台、ゲートが開く瞬間を見つめている、

 船が接岸する最後のショックが、バイクを支える足に伝わる、それぞれが皆無言で、気持ちとエンジンを始動させる、ゲートがゆっくりと動き出す、濃いガソリン臭い排気ガスと、反響する低い排気音に包まれる、作業員のGOの合図で一斉に動き出す、でこぼこの
鋼鈑を駆け下りて、港のコンクリートに乗った瞬間から、それぞれの道を走り出す、

 みんな無事でいい旅を!

 10月26日松山市から柳谷村までR33号59Km
さすが愛媛、道端の果樹園にみかんがびっしりとなっている、中には手を伸ばせば採れそうなものもあるが、撮るだけにする。
 10月27日柳谷村から日高村までR33号57Km
今日は雨の中のスタートになる、山深い土地に雨が降ると川はすぐに増水する。川を挟んだ向こう岸に、一軒の小さな農家があった。そこに伸びる低い橋は、すでに冠水している。裏側に道がある様子はない。

 どうするんだろう?飛ぶのか?

 女子高の前でほぼ全校生の歓迎を受ける。授業のいっかんとして、先生と一緒に生徒の伴走が10人ほどつく、

 学校前でキャーキャーいわれてみんな、おだつ。
 10月29日安芸市から東洋町までR55号73Km
今日は山越え、野根山峠というかつての参勤交代にもつかわれていた道を行く、四国の山は非常に奥深い、勾配と曲がり角度がすばらしい。油断してたらそく谷底だ、昔の人は偉かった。
 10月30日東洋町から日和佐町までR55号49Km
ここらへんはめずらしく自然海岸が残っている、山も植林されていない自然林が残されている、川も護岸工事のない自然の状態が残っている。こういう場所は北海道にも残り少ない。これからも残っていってほしい。
 10月31日日和佐町から阿南市までR55号29Km
海亀が自然産卵にくる海岸を持つこの町の川のほとりに河童が住むという。河童は、こまを回して、太鼓をたたいて人々と仲良く暮らしているという、ここは、昔話と現実がオーバーラップする町日和佐、ここにコンビニはいらない。
 11月1日阿南市から徳島市経由引田町までR192号47Km
5年前の四国ツーリングの時にも見た記憶のある慰霊碑の前を通る。それは、殉職した白バイ隊員の実物の白バイの慰霊碑。彼らは、その危険にくらべて極端に値しない対価で、命を張って仕事をしている。彼らも同じバイク乗り、仕事は、仕事。だと、俺は思う。
 11月2日引田町から高松市までR11号45Km
今日の宿は、病院のリハビリセンター内の宿泊施設。久しぶりに、病院のギャッジベットで眠る、健康な時には普通お世話にはならないものだが、なんと快適なベットだろう、自分の部屋に一台ほしくなる、事故で入院してた時は、あんなにいやだったものが、

 ちなみにここは、一泊600円なり、
 11月3日高松市からフェリーで玉野市、岡山市まで県道45号20Km
今日は、フェリーに乗って本土再上陸、フェリーに乗るのはこれで4回目後は最後の一回を残すのみ。昼飯はさまざまな客層でにぎわっている、セルフサービスのうどん屋、ねぎ入れ放題のすうどん一杯130円なり、うどんはすばらしい。
 11月4日岡山市から相生市までR2号61Km
83歳現役ライダーの爺様が、飛び入りで応援してくれた。爺様の時代の免許には後で普通免許も付くはずなんだが、「車なんかのらねえよぅ」と、やったらしい、バイク一筋70年、大きな事故は無く、怪我もしていないという。生涯乗り続けること、目指すバイク乗りの姿がここにもあった。

 今はボランティアで、郷土を伝える語り部の仕事をしているという、最後に手を振ってさっそうと走り去る姿が、かっこいいぜ、爺様!
 11月5日相生市から明石市までR2号55Km
今日の宿はこの旅はじまって以来の超豪華版、部屋の窓から一望出来る、ライトアップされた明石海峡大橋を肴に酒が飲める。

5年前にここを訪れた時は、フェリーで淡路島に渡っていった、それが今、わずか数分で海の上をバイクで走っていける、便利になる一方こうして日本は狭くなっていく、
 11月6日明石市から神戸市経由大阪市までR2号58Km
神戸市内の地震の被害が大きかった所を通る、テレビで見た高速道路が倒れていたその下の道路だ、当時の痕跡を探すが新築の建物が多いということぐらいで、見つけることが出来なかった。

 本当にちゃんと元道理に回復しているんだろうか?
 11月7日大阪の休養日
今日は休養日、大阪の町に物資調達に繰り出す。阪神デパートを中心に調達活動をする、大阪にはなんでもある、たまに電車の移動も面白いもんだ、

 大阪は、人、人、人にまた人、というくらい人の数がすごい、それぞれにすむ家と家族がいるわけで、そう考えるとここはとてつもない大都会であることの実感がわく。

 その傍らで、家も家族ももたない人も存在しているんだ。光と影、ということか、
 11月8日大阪市から奈良市まで県道1号38Km
朝一で高速に乗って神戸まで往復する。高架の上は見晴らしがいい、この道はかつて地震で倒壊した道だ、この状態でもしここがいきなり倒れたら、まず命は無いだろう、上を走っていると倒れることなど想像出来ないが、下から見上げると物理的に十分それがありえることが実感できる。

 見る視点によって物事の捉え方に変化が起こる。常に身を張って走るバイク乗りの視点は、危険を敏感に察知する視点。
 11月9日奈良市から富田林市までR24号40Km
奈良公園の横の道路に鹿が出てきている、車とぶつかったりしないんだろうか?かつて一度だけバイクで、でかい蝦夷鹿とぶつかったことがある、そのときは運良くかする程度で済んでいるが、まとまにぶつかっていたら、

 今の自分はここにいない。
 11月10日富田林市から和歌山市までR170号57Km
道端で柿を売っているのを見つける、柿にこんなにたくさんの種類があるとは知らなかった。早速何種類か買って食べてみると、安い物のほうが味が濃く美味いと思った。
 11月10日和歌山市から五条市までR24号59Km
山ミミズのかんたろうさんが、たくさん道に出てきているということは森が豊かだということか、もしフルバンクのコーナーリング中に長さ40センチ太さは小指ほどもある彼らの上に乗ってしまったら、

 そのまま森の土と戯れることになりそうだ、
 11月12日五条市から波瀬までR370号55Km
バイクでサポートしつつ、さまざまなものを写真に撮っているんだが、摘んで行きたい花もある、タンデムシートに積んで帰りたい花との別れは、いつの日にか忘れていた、切ない思いを呼び起こす、日本中見てきて一番だね。
 11月13日波瀬から松坂市までR166号61Km
都会の喧騒のない山深い所を走るのは、今日が最後になる、今のうちに汚れの少ない森の空気を、たくさん吸っておこう。
 11月14日松坂市から津市までR23号17Km
今日の宿は、町営の温泉保養センター、ものすごく繁盛している。入浴料大人100円で温泉に入れるなら、そら毎日いくわな。
 11月15日津市から多度町までR258R号58Km
今日は朝から雨模様、夕方に向けて雨足は、激しくなる一方、休み明けの五十日、交通量も激しい、歩道を走るランナーのほうが車よりも早い。激しい渋滞で、それをすり抜け追従するには、神経を消耗する、

 渋滞を抜けると今度は、一変みんなこぞって競争が始まる、乗用車もトラックもアクセルのあけっぷりがいい、狭い片側2車線を、ここぞとばかりに飛ばしてくる、雨で視界が悪いのに、車線変更を繰り返して加速してくる、それらをかわしつつ、泥しぶきをたっぷり浴びて、ぐんなりしていた時、一台の車がバイクに横着けしてきた、

 ん?と、見ると助手席の子供が、窓から手を出して、千円札を差し出している、奥には、運転する母親の姿が、 「何かの足しにして下さい、がんばってください!」・「ありがとう!」たったこれだけの会話、そのまま走りながら、右手で受け取る、車は流れに沿って走り去る、

 子供が雨に濡れながら窓からしきりに手を振っている、こちらもふらつきながら手を振り返すこの間わずか十数秒の突然の出来事。冷えきった体に人の温もりを感じる瞬間、宿にたどり着いたころには、身体の心まで濡れ鼠、でも心のしんは、まだ温もっている。
 11月16日多度町から岐阜市までR258号46Km
今日は快晴。そして冷たい風が強い、まともな向い風にランナーは、時速6kmで進む。この速度で進むバイクに風は容赦ない、すれすれを抜いていく大型車のまきおこす乱流にふらつかないように必死で耐える一日。
 11月17日岐阜市から名古屋市までR22号35Km
今朝も冷え込んだ。名古屋城公園はすでに落ち葉のジュウタン状態。今年の異常な暑さに、すっかり順応してしまった身体には、寒さがこたえる、早く寒冷地仕様の身体にもどさないと!
 11月18日名古屋市から音羽町までR1号62Km
国道一号線は、気を抜く暇がない、バイパスは人間通行不可で、複雑な迂回をしいられる、はずさないようにナビゲートするには、バイクを降りて歩道を押して歩くという技も使わざるをえない。

 寒さに合わせて厚着をしているので、重いバイクを押して歩くと、ちょっとした傾斜でも
すぐに汗が出る、その汗が、乗って走り出すと身体を冷やすことになる、この仕事では、バイクに乗る通常の体温のコントロールが通用しない、
 11月19日音羽町から磐田市までR1号59Km
3ヶ月前、旅の途中の南に向かう道すがらに、出会った日本一周中のツーリングライダーに、また偶然合う。お互いこの3ヶ月間に南の島まで行って、折り返してきている、それぞれに何を見てきたのか?日本は狭いのか?
 11月20日磐田市から静岡市までR1号62Km
国道1号線、片側2車線、交通量は激しい、路側は約50センチ、走るバイクの左ステップは、常に縁石の上にある、アフリカツインのステップは、高い位置についている、が、縁石も負けていない、中には背の高いやつがいて、

 足の置き方が悪いと、縁石の繋ぎ目に引っかかって弾かれてしまう、更にその上に反射板がついていたりすると、縁石に近寄れない。走行ラインは、左にタイヤ一本分の余裕をもって走るが、それ以上にふらつくと、アルミのアンダーガードが、まずぶつかって、はでな音をたてる。ガードレールのある所だと、膝の装具が、まずぶつかる、

 アルミのアンダーガードは、ずりずり、カーボンの膝の装具は割れてぼろぼろ、この旅のために作ったばかりの15万装具が、あっというまにパー!
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