次へ
14-20)
 舞鶴港0時30分発 小樽港20時45分着の新日本海フェリーに乗船して本州を後にした。・・・

 お盆の込む時期は過ぎているもののバイクは30台以上います。係員の指示で乗船したら荷物を解いて船室に上がり寝場所を確保します。定員12名の二等船室雑魚寝部屋は、船内に20室程あります。それぞれに早いもの順に窓際や壁際の角地の場所から順に埋まっていきます。最終的に6人から8人程度の初対面の赤の他人が枕を並べる事になります。

 それぞれの部屋は就寝時には扉を閉めて閉鎖空間になるので、快適に過ごせるかどうかを一瞬の判断で見分け、自分の場所を確保します。

 面白そうな人と出会えれば語り明かす事もあったり、爆音いびきとのありがたくない遭遇もあったりと、いろいろあるのが面白い。 いちおう同宿するのも何かの縁という事で、挨拶ともつかないコミニュケーションの輪がなんとなく発生して、部屋の全員がおたがいに顔を合わせてそれぞれを認識します。・・・しかし中には携帯電話や携帯ゲーム機を終始いじっていて、コミニュケーションの輪に加わる事を拒む態度をとる人もいて、なかなか手強い、(笑)

 自分がいつ誰かの助けを求める事になるかもしれないし、誰かを助ける事もあるかもしれない。そこまで重く考えなくても、20時間も同じ部屋で過ごすとしたら、顔を合わせる事ぐらいしておいたほうが良いのではないか?と思うのですが、そう単純な事では無いらしい、

 自分が普通だと思っていた事が実はそうではなかったり違ったりというのは、他人と比較してみない事には気が付きません。 不特定の他人と一つの相部屋で一夜一日を過ごす事はあまり日常では無い事です。 それを滅多に無いチャンスと思い自らコミニュケーションをとりに行くか、その逆に自ら閉ざすのか?

 熊本の銭湯の壁に貼ってあった張り紙を思い出しました。
  
銭湯の張り紙
「人情すたれば 銭湯すたる」


「銭湯すたれば 人情すたる」
 
 子供の頃、町の銭湯に行って、よその子供が親に叱られている姿を見て、「あの叱り方は酷いな〜」とか、「でもうちの親ならあんなもんで済まないな〜」とか思ったり、

 尻に叩かれた手形をくっきりつけている子を見て、あれは痛そうだな〜、どんな悪さをやったのだろう?と思ったり、

 身体のデザインがやや違う人がいたり、あいつもう毛が生えてるぞ、とか、真っ黒に日焼けした子を見て、いいな〜海に連れて行ってもらったんだ、と判ったり、

 身体を洗う前に浴槽に飛び込んで知らない爺さんにげんこつを張られたり、

 風呂上りによその子がコーラを飲ませてもらっているのを見てあそこのうちは金持ちなんだ〜、うちは貧乏だからコーラは飲ませてもらえないんだ、と思ったり、実は子供の成長を願う愛情だとずっと後に気付いたり、

 浴槽で遊んでいる乳児から親が目を離して洗髪している隙に子供用の浅い部分から大人用の深い浴槽に落ちて溺れている所を子供ながらに助け上げたり、その助け上げた瞬間、火の付いたように泣き出し女湯まで響き渡る大きな泣き声に、まるで自分がいじめて泣かしたように思われて、いきなり親に叩かれて納得がいかなかったり、

 帰りに雨に降られて番台のおばちゃんに傘を借りて帰ったり、
 
 消え逝く銭湯
 銭湯で育った子供は否応無しに周りの他人と関わる事になっていた、それは他人と関わるトレーニングを日々行っているという側面をもっていたのかもしれません。

 銭湯を盲目に賛美する気はありませんが、少なくとも異常な親子関係を周りが察知するチャンスとしては、昨今新聞に載る事が多い児童虐待の抑止力にはなったのではないかと思いました。
 
 そんな事を考えながら、フェリーのエンジン音と鼾(いびき)を子守唄代わりに、雑魚寝部屋で毛布に包まって眠りにつきました。
 
次の写真に進む
表題に戻る・・・・・・・・・・