50)ほろたち日記
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 それは「なましば」が二年目を終わって春を迎えた残雪期の事でした。かねてから政和温泉ルオント支配人より依頼されていた、ルオント裏山の「幻の池」を調査に入った時に、初めて「ほろたちスキー場」についてのよもやま話を聞かされた所から始まります。

 昨今大都市近郊のスキー場でさえ経営が厳しくなってきているという話を聞きますが、地方のローカルスキー場ともなればなおさらの事です。北海道内の各市町村は財政も厳しく、苦渋の選択で存続を断念するスキー場も少なくありません。

 ほろたちスキー場も例に漏れず厳しい経営状態が続いていたようです。しかし幌加内町の町技がスキーという事もあって、抜本から経営を健全化して存続していきたいという希望があったようです。

 その中で温泉支配人がスキー場の存続に一役買う事になるかもしれないという話を本人から聞かされていました。 そしてなましば村の蕎麦の種まきが終わった頃、スキー場の話は本格的に始動しはじめたようで、遠回しのアプローチでは無く、直接的にスキー場を運営する側になって欲しいとの要請がありました。

 しかし、ここには書けない「油っこい事情」も聞いていたので、遠まわしに避けていたのですが、スキー場の運営に関わる旧年来の資料を見せられ、具体的な計画を示されつつ、ストレートな理念と正論を持って、とうとう口説き落とされてしまいました。

 「新たなコースを作っていいぞ」という殺し文句にやられました。そのかわりスキー場ロッジの管理人室に住み込み、24時間スキー場支配人という責務を背負うのです。 まあ「新たなコース」といっても予算も無く、たかが知れていますが、コストを掛けずに知恵と工夫で客さんを呼んで楽しく遊んでもらえるようにする。そんなアイディアを実行するチャンスが巡ってきたのです。

 ほろたちスキー場は普通の目線で見ても万人向けの良いスキー場とは言えないのですが、他のスキー場には無い可能性を秘めていました。また、古いながらも必要十分な施設は一通り揃っており、ほろたちロッジには古き良き時代の暖かい空気が流れていました。その中で元々のお得意さんである競技スキー合宿のお客さんは今後に向けて大切にしつつ、新たなお客さんを呼び込んで、スキー場を盛り上げようと考えました。

 コストを掛けずに楽しむ事は得意分野です。他のスキー場に無い特徴を生かして、山登りや自然を好む人種にとっての穴場として売り出す計画でした。人生においてそんなチャンスはめったに巡ってくるものではありません。話が決まったら直ぐにアイディアを具現化する為に雪で覆われる前にGPSを使った現場調査を開始しました・・・。
・・・ところが蓋を開けて見るとあっさり泥舟がひっくり返りました。(笑) あたりまえの事ですが理由は何にせよ引き受けた以上その任務を全うしなければならず、春が来るまで厳冬のほろたち山遠征を張る事になりました。熾烈を極めた嵐の記載はありませんが、お陰様でいい経験をさせてもらいました。

 「ほろたち日記」そのものは、スキー場を盛り上げる試みとして「コスト」をかけずにスキー客の利便を図るアイディアの一つとして、リアルな積雪情報として当日の朝一番の状態を発信していたものをベースに整理したものです。小さなスキー場ですが旨みが凝縮したいいスキー場です。スキーを始めたい人が「こそ練」するにはベストの環境です。(笑)・・・「こそ練」=(人目を忍んでこっそり練習に励む事)
 
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