いまから10年前(1999年)に行われた、難病患者と家族の方々を応援する社会活動 「がんばれ難病患者 日本一周激励マラソン」は一人のランナーが難病対策の拡充を訴えて日本一周約6400kmを走り切り、全ての都道府県庁を訪問し、厚生大臣に直接請願叶って成功裏にゴールする事ができました。
しかし「全ての道のりを走って繋いでいる」という事はあまり理解されてはいませんでした。そんな中、実は一箇所だけ走る事が出来なかった区間がありました。
台風による土砂災害の為、国道が通行止めになり、唯一の迂回路である高速道路を使って車に乗って移動した区間がありました。 |
それが山形と宮城の県境にある笹谷峠です |
それはマラソン全体の距離や意義からみると小さい事でしたが、必死の思いで日本一周を走り切ったランナーにとってはとても重大な事件でした。 |
日本一周走り切ったランナーの澤本さんが、マラソンのゴール後10年間ずっと心に引っかかっていたものを今年中(2009年)にやっつけに行くぞ、と思った事をマラソン当時のディレクター伊藤さんに話した所からこの10周年笹谷峠越え計画が始まったそうです。
10年前と同じように県庁訪問を行い記者クラブを訪ね、出発式や歓迎セレモニーを行って難病対策を訴える患者活動として行われる計画が動き始めました。
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がんばれ難病患者日本一周激励マラソン
10周年記念 完全完走 笹谷峠越え 実施計画 |
10月8日(木) |
17時苫小牧港フェリーターミナル集合
19時太平洋フェリー苫小牧港出航 |
9日(金) |
10時仙台港フェリーターミナル到着
宮城県庁訪問(記者クラブ)難病連打ち合わせ
山形県庁訪問(記者クラブ)難病連打ち合わせ
山形市内宿泊 |
10日(土) |
山形県側出発セレモニー
笹谷峠走行
宮城県側到着セレモニー
19時40分仙台港フェリーターミナル出航 |
11日(日) |
11時苫小牧港フェリーターミナル到着 解散
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マラソン本隊三名は苫小牧港集合で伊藤さんの車に同乗し太平洋フェリーに乗り苫小牧〜仙台海路往復移動する。 |
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伴走ライダーは事前に単独移動、津軽海峡フェリーで函館大間航路に乗り宮城県庁から合流する。 |
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ところが・・・
出発直前になって大型台風の直撃を受ける事が確実になりました。
マラソン隊が乗る予定だったフェリーも欠航が決まりました。
現地で準備を進めていた方々も困っています。
協議の結果・・・
「台風直撃のため計画中止」
中止の決定がされました。
・・・と、ここで終わりになるのが通常ですが
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ランナー澤本さんは、台風直撃が確実になって計画中止が決まった6日(火)夕方、計画は中止になったけど一人で鉄道を使って青函トンネルで海を渡って走ってくる。という単独決行する旨の電話連絡をくれました。マラソン本隊とは別に先乗りする予定だった自分も台風の進路を見ながら伊藤さんと連絡をとりつつ今日の出発を見合わせていた所でした。 |
さてどうするか? |
澤本さんは犬がニャンと鳴いてもマイペースを崩さない人、雨が降ろうが槍が降ろうが一人で現場に辿り着いて人が見ていようがいまいが、淡々と走り終えて自己完結してしまうことだろう。
そもそも今回は澤本さんの「やり残した感」を解決するために出向くのだ。「99.98パーセント達成! ・・・でも残り0.2パーセント(13km)達成出来なかった感」 これは本人にしか解らない辛い事。少しだけ持久系のスポーツをする自分には、少しだけ解る気がする。
思い起せばマラソン終了後会う度に笹谷峠笹谷峠と言っていた。自分はそもそもこの人のそんな邪気の無い真っ直ぐな所に打たれたのだった。自分が協力出来ないと言った所で澤本さんは一人で目的を完結するだろう。
でも10年前の「がんばれ難病患者日本一周激励マラソン」は個人の域を超えている。マラソン隊は沢山の人たちの善意によって日本一周の気持ちを繋ぐ旅をさせてもらったものだ。
成果は自分達だけのものでは無い。支えてくれた方々から、応援したい方々まで皆で喜ぶための成果だ、自分にはそれを伝える役目がある。
そんな思いから独自にホームページを立ち上げて公開してきた。今回はその完結編とするならば、筋を通して当初のコンセプトに沿って実施されるべきもの。
今回の計画はそれを踏襲するものになるはずだった。当時のマラソン号の代わりに伊藤さんの車を使い移動する。
各県庁記者クラブを訪問してセレモニーを行い、小さいながらも盛り上がる予定だった。伴走ライダーは大切に保管してある当時の伴走バイク「ホンダアフリカツイン」を復活させて、事前に自走して現地入りして宮城県庁から合流する予定だった・・・。
しかし、 |
中止が決まってから急遽立てた移動計画を電話で伝えてきた澤本さん。公共の交通機関を使って単独で笹谷峠に辿り着くのは容易な事では無い。
大型バイクの機動力に期待をよせる気持ちが言葉尻からにじみ出ている。しかし我々はチームで目的を達成してきた。伊藤さんとノリベーを結果蚊帳の外にする事を進んで引き受ける事は出来ない。
冷たいようだが本隊中止の決定なら自分も参加出来ませんと不参加を表明する。これで澤本さんが断念するか?・・・おそらくそうはならないだろう、 |
状況としては・・・
1)地元支援組織にはすでに中止の決定を通知している。
2)乗船予定の苫小牧-仙台間のフェリーは欠航が決まっている。
3)一般道も高速道路も台風の直撃により交通障害が起こる可能性がある。
4)台風の中を走る事はやぶさかではないが相応のリスクを伴う
5)台風が東北地方を直撃して10年前と同じく笹谷峠は通行止めになる可能性がある。
6)成功したとしても、当初の目的にはなんら影響が無い結果に終わる可能性が高い。
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中止の決定に従い、また来年のチャンスを待つのが良いのか?
10周年を逃してしまうと走る本人のモチベーションや体力的な部分もあるだろう。今回も当時のスタッフ全員のスケジュール調整の為に10月10日になったものだった。
これを逃せば今年中の実施は不可能だ。来年になればうまくいく保障は無く、逆に状況が許さなくなる可能性もある。
そもそも10年前のマラソンの時も、スタートとゴールの日時が決まっている中で、日本中の全ての県庁を、土日祝日を除く平日の知事に面会出来る時間に訪問するように、日本一周一筆書きにするルートで、走行スケジュールの組み立ては非常に厳しく一日の走行距離が80kmを超える区間が出るなど、無理があるから次年度に計画を練り直して実施したほうが良いとの結論になりかけた時に、
澤本さんの「走ります」の一声で無理を押して実施したものだった。
冷静に考えれば無茶なものだが、そもそも無理を無理じゃ無くする事、困難を克服していく行動そのものが、辛い病気に立ち向かう方々へのメッセージだった。 |
今回も状況に関わらず澤本さんは一人で走りに行くと言う |
伊藤さんと連絡を取りながら澤本さんの動向を聞いてみると、8日17時12分札幌駅発の寝台特急列車「北斗星」に乗って仙台入りし、高速バスを使って山形入りして市内に宿泊。
翌朝山形市内から笹谷峠まで走って往復するという。時刻表通りなら仙台駅に9日04時54分に着く事になる。 |
澤本さん一人に全部背負わせていいのか?自分にもマラソン10年目の思いもある。状況が悪い時こそ発揮するのがバイクの機動力だ、澤本さんもそうであるように、自分も勝手に連帯してサポートしよう。
黙って準備して日程通りに現地に先回りして待ちうけようと決定したのが10月7日(水)の20時だった。それは台風の接近で海が大荒れになりフェリーが欠航する前の最後の便24時00分出航のフェリーに乗れるギリギリの時間だった。
しかし列車も運休するなどで、澤本さんが物理的に現場入り出来ない可能性もある。伴走ライダーの出動は伏せておく。台風を押しての移動リスクは単純自己責任だ。
もし現場に行ったものの空振りに終わった場合はスパッと目的を切り替えて10年前の心残りも訪ねつつ東北ツーリングを楽しむ事にしよう |
そうして苫小牧港24時00分発〜八戸港着7時30分のフェリーに乗り込み台風に向かって北海道を後にしました。 |