54)元旦宗谷岬ツーリング2007
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毎年行っている宗谷岬の年越しツーリングの様子です。
2006/12/31〜2007/1/3
 今シーズンは特に雪が少なく気温も高く、日本最北端の地で元日の夜明けから雪が解ける気温になってしまいました。スキー場にも雪が無く、地球温暖化を感じる旅になりました。

 また、持参の最新のデジタルカメラが旅の始めにあっけなくダウンしてしまい、フィルムカメラでの撮影になりました。しかしフィルムは一本ずつしかありません。別のデジカメを取りに帰る考えもよぎりましたが、そうせず、「防水APSカメラ」と「焦点距離21mmの広角レンズのカメラ」の二台で撮影しました。失敗を消去やリセット出来ないフィルムカメラのお陰で、一枚一枚を考えて大切にシャッターを切る事が出来ました。
政和温泉の前で休んでいる荷物山盛りのバイクの写真
1)

早朝雪が解け出す前に札幌を出発します。市街地の道路はきれいな圧雪路、しかし主要道路は全て融雪シャーベット状態、融雪剤混じりの泥しぶきを浴びないように一般車をかわしつつ一気に北上、予測はしていたものの道の駅雨竜にて以前より馴染みの焼き鳥屋が無くなっていたのが残念。
 
 国道275号線沼田のあたりから圧雪路面が出現するも極めて薄く、このまま走っても楽しく無いので途中幌加内町「政和温泉ルオント」で年越し蕎麦をたらふく食べ、のんびり温泉に浸かって休憩室で力一杯転寝、完全に身体の電源を落として充電。ゆったり寛いで気温の下がる日没後18時行動開始する。
漆黒の闇の中を照らすバイクのライトに反射する純白の雪道の写真
2)

 幌加内より国道275号線を北上し、快適な圧雪路を走って朱鞠内湖を通り美深町へと考えて走り出したものの、おりからの強めの吹雪が凶悪な地吹雪きに変性し始める。

 始めは笑いながら来るなら来い的に状況で遊んでいたものの、なかなかパンチのある風の連打にこの先の地形や北西風である事を考えて、国道239号線で山一つ陸側の士別に回避する。峠でさらに北西風が強まるも士別市内に入りやや落ち着く。ここまで北上しても国道40号にまるで雪は無い。道路に残る僅かな圧雪部分をなぞるように走って名寄でコンビニタイム、

 以前旭川以北の24時間営業のガソリンスタンド最前線だった名寄のガソリンスタンドは折からのセルフスタンドの台頭に押されてなのか廃業していた。営業時間が徐々に短くなっていくなどの兆候はあったものの、実際無くなると寂しいものがあります。

 その1990年台始めに出来た24時間営業のガソリンスタンドはコンビニも併設されていて当時の最先端をいっていた。昔、航続距離の短いバイクで宗谷を目指していた時には名寄のスタンドが必須補給ポイントで大晦日の夜のオアシスだった。名寄から宗谷岬まで北見枝幸経由で約200km、旭川以北に24時間営業のスタンドが無かった頃は、北見枝幸のライダーハウスの仲間にあらかじめガソリンを買って用意してもらっていました。
暗闇の道路わきに出現した高さ10メートル以上の高さのある星のモチーフとしたイルミネーションの美しい電飾のオブジェの写真
3)

 雪道を求めて国道を離れ道道220号線で咲来より歌登に向かい快適な圧雪道を走る。道道入り口の電光掲示板に「夜間除雪していません」の文字が暗闇に映えます。

 咲来峠は期待通りのたっぷり雪道、夜空の暗闇とヘッドライトに照らされて白銀に輝く雪道、それまで我慢の走りで蓄積された不純物を一気に燃焼させるべく、思う存分スロットルを開け滑るように走り続けます。文明の明かりの無いモノトーンの世界をしばらく進むと、本幌別市街地の直角カーブに出現する本幌別小中学校のイルミネーション。不思議と温か味がを感じる電飾です。
参道を色とりどりの電球で飾られた小さな神社の写真
4)

 純白と漆黒の間にたまに出現する人の営み、片田舎にぽつんと点在する民家にもそれぞれ明かりが灯り、静かな年の瀬を迎えているのでしょう、開拓時代からこの土地を守って生きてきたのだろうか、開拓当時はさぞ過酷な越冬であったろうとと思いをはせると、雪に閉ざされた静寂の世界にも命の温かさを感じるのです。加速しながらも遠ざかる明かりをミラーの中に消えるまで目で追ってしまいます。

 小さな集落の神社も新年を迎える準備をしています。あと少しで年が代わる大晦日の尻尾の時間、それぞれの年の瀬を感じながら新年に向かって走り続けるのが好きです。
宗谷岬の碑の上に打ち上げられた年越しの花火が黒一色の夜空に真紅の花を咲かせている写真
5)

 歌登より北見枝幸に出てオホーツク海岸国道238号線を北上します。海岸線に出ると北西風強く雪が少なくややペースダウン。浜頓別のコンビニで「肉まん」を頬張り、年越しのビールを買い宗谷岬に向かいます。今回はビールは保温しておく必要の無い温か気温です。

 宗谷岬へ到着は予定通り23時50分。ここも雪は少ない。すぐさま高台の定位置に上がると、雪が無い事で多数の乗用車が花火を見るために芝生の中に入って高台の縁にずらりと並んでいました。 年越し花火の流れ方から風の強さが伺えます。
宗谷岬平和公園に上る道が全て厚い氷で覆われていて外灯をギラギラ反射させている歩くと滑って転びそうな写真
6)

 高台へ通じる道はバリバリのアイスバーンと化しています。 所々このような部分があらわれるので雪が少ないといっても油断できません。アイスバーンの上に湿り雪が積もり圧雪路を形成すると、それは最も不安定な危険な雪道になります。

 2001年の正月には国道40号線の稚内から名寄にかけてその状態が所々出現する路面になり、豊富町のあたりで突如コントロール不能状態になり怖い思いをしました。 その数時間後そこを通過した仲間が乗用車を路外転落させ廃車にしてしまいました。
人々が寝静まった後、夜空を照らす役目の月とその仲間の灯台が密会している写真
7)

 風が強いものの、美しい月夜の晩です。 月は地球と一緒に太陽の公転軌道を共に旅する相棒です。月のうさぎも餅つきして新年を祝っているようでした。月と灯台は仲良しです。晴れた日はいつも密会しています。月から灯台まで40万km、でも1.3秒で会える距離だそうです。 ここに灯台が立って120年、月が地球の相棒になって40億年 月にうさぎが住むようになって何年だろう?
2007年元旦宗谷岬公園の一角に出現した野宿旅行者のテント村が強風に耐えるている写真
8)

風が強いものの、雪が少ない分、地面に刺さるぺグが効くのでしっかり自立しているテントが多く見られました。 北西風に向かう最前線には自転車旅行者のテントがあるようでした。 ここは風に強い山岳用テントの集団です。 雪が多い年には、スノーブロック等で風避けを作る工夫が見られますが、今年は雪が無く、テントそのものの強度で風に立ち向かうしかない状態です。
2007年元旦の未明に撮影した宗谷岬公園にある日本最北端のトイレの影に強風を避けるように張られた野宿旅行者のテント郡の写真
9)

 一般的なキャンプテントや夏場のツーリングテントを中心とした風に弱いテント達は、風避けの為か便所の周りに集まっています。もしかしたら、華奢なテントはすでに風にやられて淘汰されてしまった結果なのかもしれません

 中には便所の中で寝る猛者もいたりして(笑)
2007年元旦未明に宗谷岬公園のトイレの前にずらりと並ぶ年越しのために集まったバイクの写真
10)

 ここに集まるバイクは基本的に装備のしっかりしたオフロードバイクが殆どですが、中には木ネジをねじ込んだ?タイヤのバイクや、夏タイヤのままのバイクも来ていました。 今後も温暖な気候が続けばここに集まるバイクの種類にも影響があるのでしょう

 ここに集まるバイクを観察するとその時の天候状態がわかり面白いものです。 バイクの向こう側に北西風を避けるように便所の影にテントが林立しています。
真っ暗な夜空の中に綺麗なお月様、その下に宗谷岬灯台、手前に一台のバイクとテント、遠くにライトアップされた宗谷岬の最北記念碑、全てが月に見守られている写真
11)

 年が明け、花火も終わり、皆が寝静まった頃、空を見上げると何事も無かったように月が全てを照らしていました。
2007年の夜明け、青空の中朝日に照らされて朱色に染まる白い宗谷岬灯台の写真
12)

初日の出を浴びる宗谷岬灯台

たびたび登場するこの灯台いい形してるな〜と思うのです 
2007年元旦の宗谷岬平和公園にて日の出の瞬間を見ようと集まる人集りをよそに散歩するわんこの写真
13)

 初日の出の瞬間です。大勢の人集りが出来ています。
なんで今朝はこんなに人が集まってるの?・・・って散歩中の「わんこ」が不思議がってます。
2007年元旦宗谷岬で日の出の瞬間に打ち上げられる花火の写真
14)

 日の出と共に花火が上がります。天気が良く周りが明るいので花火がかすんでいます。
2007年元旦の宗谷岬日本最北端の碑の前で記念撮影をするバイクの写真
15)

 2007年元旦の宗谷岬より皆さんの御多幸を祈ります。

 毎年毎年、この場所で年を越え続け走り続けて気が付けば18年、「初心忘れるべからず」とか「一年の計は元旦にあり」とか様々な事を「後付け部品」のように考え理由付けをしてきましたが、どうやらそういう事ではないらしく、

 特に理由とか説明も無く、こうして元気にバイクで駆けていられる事そのものが、たまらなく嬉しく幸せに感じる事だけになっています。
2007年元旦に宗谷岬から続く丘陵で四輪駆動車がつけた深い轍が吹雪で消えかけてる雪道を埋まりながら進むバイクの写真
16)

 ここは宗谷丘陵です。除雪のされていない道路を無理やり走破しようとした強力な四輪駆動車がつけた轍がついていました。かつて1994年の大晦日の晩は低気圧による嵐になりました。北見枝幸より先の国道238号線がこのような吹きさらしの積雪路になってしまいました。それでも猛吹雪の中這うように進んで宗谷岬に到着したのは既に午前3時を回っていました。

 強力な北風で道路には大きな吹き溜まりが無数に形成され、何度も突っ込んでは足を止められ転ばないようにあがくようにして進みます。猛吹雪で視界が無く、「視界が悪い」ではなく「視界が無く」ハンドルに取り付けられた速度計が読めない程の視界です。

 道路の端も見えず。路側の矢印表示板も見えず、横殴りの猛吹雪に包まれて自分が進んでいるのか止まっているのかすら解らなくなり、足を着いて初めて進んでいない事がわかるといった状態です。
2007年元旦に撮影した地平線まで荒涼とした冬の宗谷丘陵の写真
17)

 ちょっと吹雪が弱まった隙に3速までシフトアップして(時速50km位)進み出すと、突風に吹き倒されそうになり、泣きそうなアイスバーンの上で一気に路肩まで押し込まれて、縁石に足元をすくわれて歩道側に押し倒されたりしました。それは「アフリカツイン」という装備重量250kg以上ある大型バイクでの話です。

 現在メインに使っている写真のバイクはこの装備状態で300kg以上あります。重量が増えた分タイヤの接地圧力も上がり、接地面積当たりのスパイクピン本数を増やす事ができるので、横風や外乱に強くなりましたが、反面バランスを崩した時の立て直しが難しくなります。

 基本的にスピードに乗ってバランスを取る遊びは難しい程面白いですが、バイクの場合は転んだ時に引き起こせる重量的限界があるので、今の自分の体力ではこのあたりが丁度いい塩梅です。
宗谷丘陵に続くアイスバーンの雪道を疾走するバイクを後から並走して撮影した写真
18)

 年明け仲間と美深までツーリングしました。手前のバイクと比較してみると、ガソリンを燃やして走る自動二輪車で、基本的な構造も操作方法も全て同じですが、重量で三分の一、排気量で十分の一、燃料タンク容量で八分の一という大きな違いがあります。小さいバイクは重量を削ぎ落とす事で無敵の走破性を持ったバイクです。

 車体が軽量な事は全てにプラスに働きますが、一つだけ、風や吹雪きに対する抵抗力は車重が重くパワーがあるほうが安定して走れます。

 80kgの普通大人と240kgの相撲取りの凸凹コンビが一緒に走っているような感じです。面白い事にこの二台約150km走って使った燃料はたいして差が無いのです。小さいバイクの全力疾走と大きいバイクのスキップではエネルギー効率のバランスが近くなるのでしょう
凍りついた朝、樹氷の中から登る朝日の写真
19)

 通年営業の美深のコテージです。美深温泉併設で宴会をするのに最適です。今回も冷え込みました。樹氷が寒さを物語っています。そんな中、どうにかエンジン始動!
名寄ピヤシリスキー場の駐車場に停められたカバーをかけられたバイクの写真
20)

 今回は名寄ピヤシリスキー場に行きましたが、雪が少なく、上部リフトは運休していました。 バイクモードからスキーモードへ切り替えるには、バイク乗車の防寒ウェァーを全部解除して、一番下のアンダーウェアーと外側の防水生地のアウターウェアーだけになり、出来る限り汗をかかないようにしてスキーをします。

 また、スキーモードからバイクモードに切り替えるには、汗をかいたシャツを着替え、運動して温まった身体をしばらく放熱し、 十分寒いと感じるようになってからバイク用の防寒装備を身につけます。今回ファットスキー(深雪用の太いスキー)を持っていったのに雪が超少なくて残念でした。
バイクの上に乱雑に山盛りにされた荷物の写真
21)

 車体カバーを外すと中はこんな感じです。テントに寝袋、テントマット等キャンプ用具を揃えて積んでスキー用具も積載するとなると、ちょっと難解なパズルを解くようなものです 必要最低限の道具達でまとめているはずですが、こんなに山になる程荷物があります。

 これらをバランス良くパッキングするのが重要です。自分でも、よくめんどくさくならないものだと思いますが、まあ、好きだからやっていられるものと解釈しています。 のんびりパッキングしているうちに身体が冷えてバイク装備を着込むのに丁度良くなります。
モノトーンで統一された冬の針葉樹の森が一瞬色付く夕暮れ時の写真
22)

  国道275号線朱鞠内湖のあたり、国道は融雪剤を多量に蒔くのでかなり溶けています。しかし気温がマイナス10度を越えると融雪剤を蒔く程、変に(予測外に不自然に)滑りやすくなってしまいます。 特に今シーズンは強力に融雪剤を蒔きまくっているように思えてなりません。

 年間どれぐらい蒔くのか知りませんが、今後何十年にわたってどれほど撒き続けるつもりなのでしょうか?それらは土壌を汚染し、川を汚染し、海を汚染し、廻り廻って人間に帰ってくるという事を理解したうえで撒いているのでしょうか?いずれ撒いたように花が咲くわけで、その花や実に苦しむのは撒いた本人達では無く未来の子供達なわけです。

 融雪剤の大量散布はやめるべきだと思います。雪道には雪があって当たり前、凍結していてあたりまえ、中途半端に甘やかす事で移動スピードが上がり、かえって重大事故を誘発しているように思えてなりません。 必要なら砂や砕石を撒いて、かつて車粉公害時に春の道路清掃は風物詩であったように、春にロードスィーパーで回収したらよいと思います。

 日が沈んで気温が下がるのを待って帰札します。今回は自由に走れる事を噛み締める年越しツーリングになりました。
 現在地点===「燃焼室」趣味の部屋
54)元旦宗谷岬ツーリング2007

 ・・・おまけ

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