30)元旦宗谷岬ツーリング2003
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毎年行っている宗谷岬の年越しツーリングの様子です。

日程表
2002年12月31日  ・・・仕事終了後札幌出発
2003年01月01日  ・・・音威子府を過ぎたあたりで新年を迎える
02時15分  ・・・宗谷岬到着
07時10分  ・・・稚内市主催の初日の出イベント参加
2003年01月02日  ・・・名寄ピヤシリスキー場にて仲間とスキー
2003年01月03日  ・・・帰札

今回は新型車両導入初の元旦宗谷岬ツーリングでした。 

今回は夏に導入したドイツ製の新型車両で行く、初めての元旦宗谷岬ツーリングです。それはアフリカツインに比較して大幅に増加した重量に対応したスパイクタイヤの制作から始まりました。

まずフロントタイヤは適合するサイズのチューブレスタイヤではピン数と打ち込み深さの問題があり、リアタイヤをフロントに使うといった、実験的な試行錯誤がありました。

リアタイヤも重量増とエンジン出力の増大に耐えるスパイクタイヤを作る必要があり、こちらも試行錯誤がありました。

結果、夜なべして作ったスパイクタイヤを1セット半壊して、翌年に満足のいく性能のスパイクタイヤに到達しました。つまり、今回のタイヤは試行途中のもので、宗谷岬に到着した段階で、既にタイヤは損傷しており相当数のピンが倒れ抜け落ちていました。帰りはだましだまし走る事に、、、

宗谷岬、丘に上がる場面で転倒している写真に見えています。R_D605の鬼フルピン仕様に一部スパイクピンの抜け落ちがあります。実はこの時にそれに気が付いて、あ〜あとなりました。

F_D603は狙い通りの性能を発揮するスパイクタイヤになりました。その制動力は2005年の記録14項にあります。

また、8年ぶりの初滑り「シートラ」復活に関しても実験的な部分があり、整流効果を期待して薄いステンレスのキャップ構造のスキーを使い短めの物を選び、テレマークブーツもプラブーツを別に積載しています。(以前は革のテレマークブーツを履いてバイクに乗っていた_1994年宗谷岬の写真)

概ね順調に進み、新型車両のパワーと操縦性に喜んでいた所、最後に超低温での始動性問題にやられる味噌がついた2003年のスタートでした。
吹雪の中、赤色回転灯が四隅の点灯する国道40号を閉鎖する鋼鉄のゲートの写真
1)

 今回は所々で強い吹雪きに見舞われました、

 高速道路は全線50kmの速度規制がかかり、除雪車両に突っ込んだ車や、何台かが絡んだ事故や単独で路側帯に突っ込んだ車等などで途中5件の事故がありました 

 国道40号線ではこのゲートが閉じていたらアウトでした。周りに迂回出来るようなルートはありませんので、吹雪が収まるのをどこかに隠れて待つしかありません。
雪の中でひっくり返って白い腹を見せているバイクの写真
2)

 宗谷岬を見下ろす丘に上がる急なぐねぐね道を登っていて、やらかしてしまいました、四輪駆動の車が登ろうとして失敗し、さんざん路面をほじくり返されている状態のいやらしい轍の交錯する場所でした。そんな場面では一速のギア比が今一低く、使いずらいと思っているのは私だけなのでしょうか?(言い訳)

 このバイクはきつい斜面で登り切れずに倒してしまった時に、このように倒れた方のエンジンを軸に起こしやすい向きにクルリと回転させて簡単に現状復帰できる特徴があります。(秘技シリンダーヘッドターン!)
2003年元旦の宗谷岬に整然と駐車されているバイクとそのテント村の写真
3)

 今年も去年同様に、単に無謀をやっているバイクは無く、ある程度の装備をもったバイクがほとんどでした。そもそも冬にバイクを乗る事自体が無謀という説もありますが、まともな交通の流れに乗ることが出来ずに渋滞を巻き起こしつつ、轍の真中をよたよた進むような迷惑マシンがいないという意味です
元旦の宗谷岬の碑付近に出現するテント村の写真
4)

今年は風が弱かったため、風よけを作らなくても持ちこたえたようです。 
吹きさらし状態のタイヤチェーンを巻いた原付バイクの写真
5)

 定番のカブ号も健在です。50ccながら、あなどれない性能をもっています。
吹きさらし状態のタイヤチェーンを巻いたオフロード軽二輪車の写真
6)

 このバイクはタイヤチェーンを巻いています。ブラックアイスバーンに立ち向かうにはやや非力ですが圧雪路面には威力を発揮します。
荷台に衣装箱を積んだ小さな原付バイクの写真
7)

小さいながら箱ものを3点装備したバイクです。デザイン的にすっきりまとまっています。
吹きさらしの大型バイクの写真
8)

 今年の北海道は早い時期から気温が低い日が続き、日中になっても気温が上がらずに真冬日のまま降雪が続いたため、日照があっても深いブラックアイスバーンが形成されなかったため、重量車でも比較的容易に走行可能な路面でした。

 昨今の道路除雪状況が良くなった事と、気温そのものが上がっているため、今後もさらにバイクで走りやすい雪道になっていくのではないかと思います。
2003年元旦宗谷岬の碑の前でポーズを決めるハーレー乗りの写真
9)

 元旦宗谷岬三年目の「キリバイくん」は冬でもハーレーに乗っています。装備が充実してきているように見えるのは気のせいかな?
激しく打ち上げられる宗谷岬広場の打ち上げ花火の写真
10)

 今年は初日の出は見えませんでしたが、いつも日の出と同時に打ち上げられる花火は見られました。過去には吹雪で中止になった年もありました。

 また、岬の碑の周辺にテントを張りたくない理由がこんな所にあったりもします。風向きによってはテントに花火の火の粉が思いっきり降りかかってしまいます。
2003年元旦宗谷岬の丘の上で青空の下で風に吹かれて休むテントとバイクの写真
11)

岬を見下ろす丘の上から遠くサハリンを望みます。※注
2003年元旦の宗谷岬の碑の前で記念撮影しているフル装備状態のバイクの写真
12)

 がんばれ難病患者日本一周激励マラソンのゴールから早三年が過ぎ、直接の記憶は薄れていきますが、この場所に立つたびに、日本中で出会った人達の顔が記憶の中に鮮明に浮かびます。

 元気に過ごしているのでしょうか?もしすでに苦しみの無い世界に行かれてしまったとしても、がんばっている姿は永遠に記憶の中で生き続けています。伴走ライダーはいつも応援しています。皆様のお陰をもちまして事故より8年目にしてようやく元の状態に戻ってきました。これからもアクセルは緩めずにいかせてもらいます。
2003年元日の吹雪に霞むクッチャロ湖畔で看板をバックに記念撮影したバイクの写真
13)

吹雪の中のクッチャロ湖です。 
2003年元日の宗谷海峡にて流氷の海岸で夕日を背に止まっているバイクの写真
14)

2003年1月1日の宗谷海峡の夕暮れです。 
宴会専用小屋にて盛り上がるバイク仲間の写真
15)

バイク仲間の宴会です。 
始動不能状態を脱する為に車二台より電源を引いて始動を試みるバイクの写真
16)

 寒すぎて手を焼いています。
美深のコテージにてマイナス20度をゆうに超える冷えっぷりを見せた美しい星空の朝、2002年式の最新のインジェクションシステムをもつはずのバイクですが、全く始動してくれません。

 ドライヤーとチャッカマン、車両二台の援護でどうにか始動し、後にディーラー確認してみたら、どうやらこのバイクのエンジンコントロールコンピューターには「マイナス20度以下でのエンジン始動という設定が無い」ということらしい・・・。

 早く北海道の気候に慣れてもらわねば・・・
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30)元旦宗谷岬ツーリング2003

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2001年…3)元旦宗谷岬初日の出ツーリング

2002年…18)元旦宗谷岬ツーリング2002

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