1)強力なスパイクタイヤを作る
今回は久々にスパイクタイヤを新調した。古いスパイクタイヤからサイドブロックに打たれた消耗の少ないスパイクピンを抜いて再利用する。
専用のピン抜き工具を使ってフランジを痛めないように慎重に抜き取る。「10×15」の「ダブルフランジのカップピン」大型バイクの駆動輪用として一番信頼できる。
12月にはいって、周期的に寒波の襲来が有り、年末年始にかけて強い寒気がやって来る!との天気予報を見て、ピンの飛出量を長めに作って極悪アイスバーンに備える。 |
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2)
12月30日、予報が逸れて雪の無い道路を北上する事に・・・ スパイクタイヤのダメージを気にしながら弱気のアクセルで距離を稼ぐ走り |
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3)
急遽西興部村在住のバイク仲間の宴会に混ぜてもらえる事になり、名寄から進路変更して山に向かう。
良い感じのログハウスで村の若い衆と楽しい宴が始まった。西興部「ニシオコッペ」村民を「コッパー」語尾下げる。西興部のファンを「コッパー」語尾上げる。
西興部在住のピアニストは「コッパニスト」、コッパーのためのレクイエムを作曲して村のテーマソングに・・・、ゴーストライターは蝦夷鹿に頼むか?
コッパーデザインのオリジナルエプロンを作ろう。ニシオポッケとカミオポッケとナカオポッケとオポッケの大小4つのポケットをつけて、エプロンそのものを地図にしてしまえばいい、・・・
3時まで騒いだ(笑) |
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4)
大晦日。昼頃「ニシオポッケ村」を出発してオホーツク海を目指して最高の圧雪路を快走する!海岸線の路面は圧雪路面が一度解けてシャーベット化した後に再氷結した厚みのあるアイスバーンに圧雪が乗った、やや癖有りの圧雪アイスバーン。強力なスパイクタイヤが本領発揮する場面 |
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5)
2014年大晦日宗谷海峡の夕日。宗谷岬から西は雪が少なく路面が見えている。バイクで走りやすいツーリング日和だったようだ。
一旦宗谷岬を通り過ぎて稚内で温泉に入り、折り返して再び岬に向かう。 |
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6)かつての賑わい
丘の上でバイク仲間と宴会開始、ニシオポッケ村産の鹿肉缶積を肴にオリオンビールが美味い。スペシャルどぶろくもよく冷えて爽やかにうまい。
風も無く穏やかな年越し、バイクの数が増えている。自転車の数も、テントの数も、車内泊の車の数も、一気に増えている。
無責任な考えだが、人が減っていなくなるより、増えた方がいい。当然トラブルも増えるだろう。困るから考える、困るから助け合う、厳しいからやさしく、寒いからあったかい。北海道はそういう土地だと思っている。
そのうちシビアなトラブルや事故も起こるだろう、自分も含めて、現代人は便利や快適に慣れ過ぎていると思う。
「生きる」には様々なリスクが付きまとう。たまたま自分が乗った飛行機がミサイルで撃墜されたら人生終了だ。その慰霊碑が丘の上で墜落現場を指している。
ドカンと地震がきてザブンと津波が来て2万人亡くなってしまった。大きな地震が来たら高台に避難する。奥尻地震では数分で津波が到達して多数の犠牲者を出している。
2014年は、また民間旅客機がミサイルで撃墜されてしまった。山では綺麗な紅葉を見ながらお弁当を食べていた人達に向かって、山が爆発して多数の方々の命を奪ってしまった年だった。
年を越せる事、生きている事実を見つめなおす。自分にとっての宗谷岬はそういう場所 |
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7)
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8)
あけましておめでとうございます。今年も全力で走ります。「ニジニジ活動」東北に向けて発進します!
・・・冬は車で行きます(笑) |
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9)
正月3日、寒波の中を南下開始。今朝は陸別でマイナス26度まで下がっていた。宗谷地方も冷え冷えで気温が少し上がる昼まで待って出発した。
美唄から江別にかけては朝の段階から吹雪通行止めだった。直前のSAで粘ってみるも、一瞬開通したものの直ぐに岩見沢から江別西の間が吹雪通行止めになり、開くことは無かった。当然下道も猛吹雪の視界不良。劇混み渋滞とフルコースを味わう事になる。 |
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10)
酷い吹雪を突破するとバイクの顔は泣き顔を通り越して目を覆いたくなるようだ。乗っているライダーの顔も面白い事になる(笑)
結局夜中までかかって家に辿り着いた。2015年の走り出しはおおむね順調です! |
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