1)
21時過ぎ降りしきる雪の中、2007年の走り収めを開始します。今回はルートを変えて天塩町経由で日本海側の道々106号を北上、稚内市内を経由して宗谷岬を目指します。夜間激しい風雪の中を進むには左右方向に低く光が飛ぶライトが有効です。一般的な素透し平面レンズの反射鏡型ライトでは吹き付ける雪に光が乱反射して目前に乱反射する雪の反射幕を作ってしまい前方路面の視程を妨げてしまいます。
左右方向に配光が無いと路肩との距離が掴めず、自分が道路のどの辺りを走っているのかが判らなくなってしまいます。最悪平衡感覚がおかしくなり具合悪くなってしまいます。また、平面レンズではレンズ面を叩きつける雪が凍りとなって覆ってしまい光が乱反射して自ら発する光で視程を妨げてしまいます。冬季ツーリングではヘッドライトはとても重要な装備です。
悪天候にはプロジェクタータイプのヘッドライトが有効です。凸レンズ(とつれんず)を介して光を飛ばすプロジェクターライトは、レンズ面が小さく光のエネルギーが集中するので猛吹雪でもレンズ面に付着する雪を瞬時に解かしてしまいます。また路面を照らさない余計な光が漏れにくい構造上、目前に飛び散る光の乱反射による視程の妨げも起きにくいのです。
悪天に強いそのライトは長距離トラック等によく採用されています。現在使用しているバイクには主前照灯にプロジェクターライトが標準装備されています。他に二灯の補助前照灯のプロジェクターライトと一灯の標準型ライトを装備して合計四灯の目玉で風雪に立ち向かいます。 |
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2)
道々106号線、通称オロロンラインの核心部です、夏場は爽快なツーリングルートですが、日中より降り続いた雪がもりもり積もって期待通りの深雪道になっています。
分析すると路面の最下層は年末の積雪が一度解けて凍った硬いアイスバーン、その上に吹き溜められた密度の高い崩れ雪と降り積もった密度の荒いパウダースノーが混在して深い積雪を形成しています。そこを物流の大型トラックが力ずくで踏み固めた硬い轍(わだち)と大型車とトレッド(左右の車輪の間隔)が合わない乗用車がハンドルを取られながら進んだ不安定な轍が混在しています。
この場合路肩すれすれの轍の無い部分が走りやすいのですが、積雪の下に潜む見えない硬い轍に不意に前輪を払われると、急にバランスを崩して蛇行し路外に落ちてしまいそうになります。もしこの状態で路肩に落ちてしまったら、かなり難儀な事になります。 |
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3)
強風により吹き溜まりも多数出現します。乗用車は大きな吹き溜まりを避けて蛇行して通過します。そのため道路上に斜めの轍が出来てしまいます。斜めの轍は二輪にとって厄介な存在です。
雪は圧力を加える事で溶けて固まります。それは雪合戦の雪玉を作る時に両手で雪を握り圧力を加えて押し固めるように、雪道を車が通るとタイヤと路面の間に雪を挟み押しつぶして固めてしまい轍が出来るのです。普通轍というとタイヤが通って押しつぶした部分が引っ込んで凹状になっているだけように見えますが、じつは内部でタイヤが通って踏み固められた硬い部分が凸状になって盛り上がっているのです。
深雪道では走行抵抗の少ない凹状に見える轍の中央部を通るのが一般的ですが、それは中に潜む踏み固められた硬い凸状の轍の頂点部分を通ることになり不安定な走行状態になっているのです。通常凹状の中央部を通るとタイヤの接雪面は広くなり、轍の中央に向かう力によって安定した走行状態になります。しかし凸状の頂点部を通るとタイヤの接雪面は小さくなり重力により左右にずり落ちてしまう力が常に働き不安定な走行状態になってしまいます。
前日からの気温や積雪、風向き風速、そして地形や車両の通過状態によって深雪道は様々な変化を見せます。見た目と実際の挙動が違ってくるので、見えない路面を読む力が要求されます。 |
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4)
轍が見えているうちはまだいいのですが、吹雪や降雪により隠されてしまうとお手上げです。勘とタイヤから伝わる感覚で走るしかありません。気象条件が悪くなると車は路外転落を恐れて中央寄りを走ろうとします。そして路肩には踏まれていない新雪部分残ります。
深雪は走行抵抗が激しく、小さいタイヤを履いた車両等はスタック(埋まって)してしまうこともあります。そこを強力なスパイクタイヤにものを言わせて車重とパワーでもりもり加速していくと面白い事がおきます。
夏場に起きる「ハイドロプレーニング現象」とは大雨の道路を高速走行した際に水の幕によってタイヤが路面より浮かされてしまい、ハンドル操作が出来なくなる現象をいいますが、冬場は深雪道を力ずくで疾走すると雪によって前タイヤが硬い路面より浮かされ、ハンドルが利かなくなるのです。
それは一本の平均台の上をバランスとって進んでいるような、細身の歩くスキーの板で深雪の急斜面に挑んでいる時のような、非力なスノーモビルで埋まりそうな深雪を進んでいる時のような、狭いバランスポイントに全身を使って乗り続ける感覚です。
道々106号線の二十年前は見た目このような深い轍が幾重にもなる砂利道でした。オフロードバイク乗り大喜びの道でした。ハンドルをしっかり押さえながらアクセルを開けてバイクを飛ばしていると、路外転落している乗用車を見つけました、あわててバイクをとめて様子を見にいくと、人の気配は無く既に事故から数日経過している放置車両でした。フロントガラスの血の痕を見てしまい、ビビリモードで慎重にバイクを走らせた思い出があります。 |
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5)
六速まである変速ギアのうち二速三速の低速ギアで遊んでいるうちに、抜海の手前あたりで「いのしし」に振り切られ「ねずみ」に追い越されてしまいました。吹雪地帯を抜けて道すがらの抜海神社に初詣をします。
時世柄ティースプーン半分も無い舐めるような御神酒を頂き新年を祝います。年が明けた瞬間、雪の中に打ち上げ花火が見えたような気がして不思議だったのですが、抜海の方々に話を伺い 幻だったという事に確定しておきました。
この時点で燃料ゲージのメモリは最後の1メモリになりました、燃料残り10パーセントという事です、北竜町で満タン30リットルの燃料が残4リットルを切っています。オロロンラインの核心部を突破するのに多量のエネルギーを消費してしまいました。もしこの先もゲロ道が続けばガス欠の恐れ有り。以後弱気の燃費走行に徹して無事に稚内の24時間営業のセルフスタンドで給油する。満タンで五千円は財布に痛い。 |
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6)
コンビニで酒と食料を買い宗谷岬に着いたのは午前一時を回っていました。今シーズは年が変わる時間にカウントダウンイベントがあったそうで、除夜の百八発花火を打ち上げ餅つきや歌謡ショーも行われたとか、どうりで稚内市内から宗谷岬に向かう途中にやたらと対向車と擦れ違う事を不思議に思っていた疑問が解けました。
祭りの後の静けさを見せる宗谷岬公園。今年は車の数が少ないような気がしますが、テントは例年通りの数と配置のようです。稚内のバイク仲間も年越イベントに来ていたそうで、けっこう盛り上がってたよ。と聞くとちょっと残念!でも貸切のオロロンラインでの深雪遊びがたまらなく楽しい年明けでした。 |
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7)
時代の流れでしょうか日本最北端の碑のライトアップが消えています。よく見るとテントの前にスノーブロックを組んで風避けにしているテントがありました。このテントはジオデシック構造といって最小の材料で最大の強度を発揮出来るように考えられたテントです。ここに林立するテントの中では一番強度があるテントですが、さらに風避けを作っています。
これは想像ですが、岬の突端で吹き曝される風の威力を知っていながら、あえて自然に立ち向かって遊んでいるのではないかと思います。ここで吹き飛ばされたとしても命に別状はありませんので。中で酒でも飲みつつ暴風を楽しむつもりだったのではないでしょうか?自然の猛威に立ち向かう道具達は持つと嬉しくなります。そして試してみたくなります(笑) |
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8)
絶滅危惧種の由緒正しきキャンピング車がありました。マウンテンバイク全盛の時代にあってなおサイドバッグ四つ装備のドロップハンドルのキャンピング車で、真冬の北海道をツーリングするとは筋金入りですね、「サイクリスト」という言葉はまだ通じるのでしょうか?
学生の頃冬もマウンテンバイクに手製のボルトスパイク履かせて往復で30km通学してましたが、経験上前輪が重いと積雪の雪道では苦戦しそうですね、かつて夏休みに初めて宗谷岬を訪れた1984年当時は札幌からマウンテンバイクにキャンプ道具積んで宗谷岬まで四泊五日の道のりでしたが、真冬には何日かかるのでしょう?おそらく今の自分では初日で力尽きてしまうでしょう(笑) |
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9)
AM2時過ぎにキャンプ準備完了。灯台がいい仕事しています。昨年と比べても雪が多いことがよく判ります。 ちょうど月の出は年が変わったAM12時10分ですが雪でまったく見えませんでした。 |
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10)
日の出の時間に合わせて花火が撃ち上がります。
昨年より人が少ないような印象を受けましが、深夜の年越イベントに参加する人がいる事で人数の分散がされたのではないかと思います。
日の出時刻の間近まで青空が出ていて、これはいい初日の出が見られると期待を持ちましたが、日の出直前に急に雪雲に覆われてしまい横殴りの雪模様になってしまいました。それでも丘の上の展望台周辺にはしばらく人集りが出来ていました。 |
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11)
2008年日本最北端の初日の出です。日の出の時刻七時十二分を過ぎる事約十五分、雲間より太陽が顔を出してくれました。 横殴りの風雪の中、宗谷岬に集ったほとんどの人が初日の出を見ようと大挙して待っていたものの、あまりに天気が悪いのでもう日の出は無いだろうと次々に諦めて帰ってしまいました。
それでも遠く水平線上の雲の切れ目と頭上を覆う移動性の雪雲の切れ目が重なった瞬間を突いて日は出るはず。と、しぶとく待っていると、・・・一瞬雲間から顔を見せて、「簡単に諦めちゃいかんぜよ」と言い残して雪の中に消えていきました。 展望台には勘の鋭い連中が数名初日の出を見ています。 |
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12)
あけましておめでとうございます。 今年はスキー装備が無いのでなんとなく背中が寂しいような気がします。昨年の出来事を振り返り「初心忘れるべからず」との気持ちを新たにこの場所に立っています。
「がんばれ難病患者日本一周激励マラソン」がこの場所をスタートしてから来年で十年になろうとしています。毎年この場所に立つ度に全国でお会いした方々の顔が浮かびます。きっと元気で活躍されていることと祈り信じて走り出しています。皆さんの御蔭をもって私はこうして自由にバイクに乗って駆けていられます。感謝しています。いつも応援しています。年末関係者の忘年会で10周年に向けて何かしたいねっていう話が出て盛り上がってました。もう一周しますか?(笑) |
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13)
コンビニで「肉まん」食べてコーヒー飲んで休憩している間にもりもり雪が積もります。ふと見ると除雪車も燃料補給しています。このバイクですら深雪掻き分けさせたら相当腹減らしてたくさん燃料呑むくらいだから、でっかい除雪車は仕事量も多いし相当燃料食うんでしょうね、
こんなとき風雪の中に溶け込む「白い車」は怖い存在です。ホワイトアウトと呼ばれる猛吹雪になると「白い車」はまったく見えなくなってしまいます。もし吹き溜まりに突っ込んだり、スリップして立ち往生したりして道路上に停止していると直前まで発見出来ずに衝突してしまう危険が高まります。
かつて北海道では吹雪の中で一度に160台以上もの車両が追突事故を起こす未曾有の大事故が発生しています。衝突した後に利くシートベルトの強制も大切ですが、衝突しないための安全対策もあるように思います。 |
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久々登場の今日のわんこ
バイク仲間のお宅の「ピース君」です。人の言葉が判る賢いわんこです。今は重い病気と闘っています。年明け早々つらい手術を受けなければなりません。皆が元気になる事を祈ってます。今回はピース君とおうちで過ごす年越しです。 |
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15)
まきストーブは部屋を暖め、家を暖め、人を暖め、わんこを暖め、ついでに鍋三つにヤカンと冷凍タラバを暖めています。ストーブの上は左から鹿鍋、やかん、海鮮牡蠣鍋Aバージョン、上に冷凍タラバ蟹の足、海鮮鍋Bバージョン、
一番人気は釧路仙鳳趾(せんぽうし)の牡蠣がたっぷり入った海鮮牡蠣鍋Aバージョン牡蠣キムチ鍋です。釧路からバイク仲間が運んでくれた仙鳳趾のでっかい牡蠣を殻を剥いてドボドボと鍋に放り込み手当たり次第に海鮮ものと野菜にキムチを放り込み、プリプリの牡蠣をハフハフすればすぐに一升瓶が空になる。「なまらうまいべぁ!」(日本語訳=とてもおいしいですね) |
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バイク仲間のクラブハウスに昔の写真パネルがあります。油断して近付くと時間の経つのを忘れて見入ってしまいます。 |
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ライダーハウス「えさしYOU」全盛の頃の「元旦初日の出宗谷岬ツーリング」の集合写真です。日本全国から40〜50人集ってました。当時枝幸町の銭湯「枝幸湯」の別棟のライダーハウス「えさしYOU」にこれだけの人数が年越しにやってきたものでした。
今思えば、これだけの人数が揃っての滞在には銭湯がライダーハウスという事は利に叶っていますね、当時バイクで自走してくる連中が多数だったので、風呂入りにバイクで移動するというのは厳しいものがありました。寒さ厳しい冬には銭湯の大きな湯船が嬉しく、お湯の蛇口に「宝」と書いてある理由もよくわかります。これは1990年の元旦の宗谷岬での集合写真です。 |
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元旦は初日の出宗谷岬ツーリング、夜新年会、二日は音威子府にある音威富士スキー場に初スキーに行く、というのがえさしYOU年末年始の恒例行事でした。写真は音威富士スキー場での一こまです。この頃車は持っておらず、冬にバイクでスキーに行く事はあたりまえに思ってました。
当時は排気量250ccで燃料タンク容量10リットルのオフロードバイクに長さ210cmのテレマークスキーをアルミ背負子で背負い、テレマークスキー靴を履いて、競技スキー用のプロテクターを着け、登山用のウェァー類で固め、山岳用テントに寝袋、ガソリンコンロ等キャンプ用品を積み、ヘッドライトバイザーの上に山岳用の折りたたみスコップを積んでいます。
当初元旦の朝のツーリングに参加するつもりでいたものの、風も無く綺麗に星がまたたく大晦日の晩、これは走らずにはいられないと宗谷岬までナイトライドして、テントを張り、元旦の朝を向かえて宗谷岬より走り始めるという形になりました。現在も基本的な部分は変わりありませんが、それぞれの装備の充実によって、より過酷な条件も楽しめるようになっています。 |
・・・追記 |
写真は音威富士スキー場の駐車場で枝幸に向けて出発する所です。皆スキー装備は仲間のトランポに積んでもらい バイクで雪遊びしながらスキー場に乗り付けたものでした。
そんな中 自分の装備は自分で運ぶとしていた姿が写真に残っていました。 これはキャンプ装備はライダーハウス残地の軽量シートラ状態です。
アルミ背負子エバニューグリーンボーン に テレマークスキーはフィッシャーGTS 210p を装着 ボレーのリリースキットにBDのリーバケーブルビンディング 靴はアゾロエクストリームプロ(バックル付き革紐靴) に BDのオーバーフィットゲイターで防寒 シュイナードのアバランチゾンデ兼用連結三段プローブ サレワのアルミスコップ ウエアーはゴアテックスのアルチチュードヒマラヤ フリースインナー クロロフィルのポリプロアンダー BDのゴアテックスオーバーグローブ ゴーグルはオークレーのスキー用ダブルレンズ改 膝にゴールドウインのスラローム用プロテクター タイヤはダンロップのモトクロスタイヤにダブルフランジカップピンのフルピン仕様 当時最新最強の装備 |
・・・目玉が三角になっていた はず(笑) |
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19)
二日前の積雪状態がうそのように走りやすい「道々106号線」同じ道路でも、天候によってまるで違う表情を見せるのが冬のツーリングの面白さでもあり怖さでもあります。 |
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20)
ここは留萌駅前商店街です。 たとえ店が閉まっていても、昔ながらの商店街にはどこか温かみを感じます。かつて装備が貧弱だった頃、深夜に猛吹雪にやられてエンジンが冷え切りアイシングを起こしてピンチの時、商店街のアーケードに逃げ込み救われたことがありました。
大規模スーパーの進出に負けずに、地域に根を張った商売を続けてほしい、などと思うのは旅人の勝手なたわごとです。
「悪い病気は無くなってしまえばいいのに」と子供のような事を真剣に願う年越しになりました。 |
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